ボスは迷文家シリーズ

アドバイス各種
重みある言葉にのみインスピレーションがある


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余計なお節介的アドバイス
日本には、他人に向かって「ここをなおせ」とか、「あそこをなおせ」などとのアドバイス、 といえば聞こえがいいのだが、余計なお節介が多い。アドバイス結果の責任を負えない立場 の人間は、頼まれてもいないアドバイスや、会話がそういうシチュエーションにない時のアドバイス はすべきでない。アメリカ人の中には、ワザワザアドバイスを求めてくる人たちもいるが、本音は、 アドバイスを求めているのではなく、本人の今のやり方でも、こんな良い部分があるので、それを 伸ばせ!という応援の言葉を求めているのである。それも解せずに、本気になって至らない点を 指摘をしてしまうと友人を一人失うことになる。ましてや、アドバイスを求めていない人に向かって 「君のここは見ていられないから直せ」とは、英語でいうとNone of your business、日本語でいうと 「お前の知ったことか!」なのである。子どもを育てる時も同じだ。欠点の指摘をするのではなく、 小さくとも優れた面を探しだしてあげてそれを褒めあげることなのである。酒の席で日本人がよく やることは、酔ったあげく同席者の至らぬ点をアドバイスと称して酒のツマにすることだ。 アメリカ人はこのような飲みかたをしない。

デマンディングな自己中心者たちのアドバイス
忠告に名を借りて自分の我を押し通してはならない。 上に説明した様に、アドバイスを求めていない人に向かって「君のここは見ていられないから直せ」と、 相手の気に入らない部分を指摘する。アドバイスという言葉の下に、自分の我に障る相手のやり方を 直させようとするのだが、極めて自己中心的でしかない。アメリカではこういう人はHe is too demandingといって嫌らう。Demandingなアドバイスは不遜・傲慢でしかない。

真の友情が示すアドバイス
本当に友のことを思ってのアドバイスもあるのだが、 失敗をしてそこから学ばなければならないメリットもある。 余計な口出しはすべきでない。

身のほどを知らない人のアドバイス
情熱を持って行動をしている人間への、そうでない人間からのアドバイスは身の程知らずだ。 言い手には自分がそ身の程知らずという自覚がないから始末に悪い。 昨年のことだったが、際立った生き方をしている僕の友人に向かって「私も貴方と同じだ」、 と、普通の生活を送る普通の女性が言っていた場に居合わせたことがある。 「同じだから彼女と彼は息があう筈だ」というニュアンスであった。。 とんでもない! 僕は心の中で思った。 何故なら、その彼女が幾らそう思ってはいても、 彼女の人生は極めて普通な生活を極めて普通に生きてきただけだ。 彼女が「同じ」と言いのけた気持ちの裏には「彼の生き方への憧れがある」というだけのこと。 極めて観念的なもので、そこには熱も行動もない。 心に従って殻から抜け出すこともしなかった。 行動をとらないことが悪いと言っているのではない。 行動をとる者には、行動をとらない者の言葉が空ゾラしく聞こえるだけなのだ。 情熱をもって行動をとる者は、情熱をもって行動をとる人間の言葉のみにインスピレーションを感じる。 夢や願望は誰にでもある。夢の実現に向かって行動をおこすこと人が放つ言葉には、 同じ言葉一つとってもそのウエイトは重いのである。

余談だが、日本に観念的なことばかりを語る自転車雑誌がある・あった。 自転車の記事ひとつとっても、「メタルの輝き」だとかのオタク美を語る。 付随する写真も、居間には寛ぐセーターにパイプのオタク・オヤジがいて、 その後ろにメタル輝く高級車が飾ってある。 「自然の中にいて、風の歌を聴き乍ら木々に語る、、、」といった喜びを彼は表現する。 極めて観念的である。 本人たちがそれで幸せ気分だから、それはそれでいいのだが、 僕にしてみれば、これらの言葉は浮いているだけで、そこに重みを感じる事ができない。 彼の言葉からは、 ガンガンと走り込むサイクリストが放つインスピレーションを感じることができないということだ。 以前、Klein自転車の社長をインタビューしたことがある。 日本のトレンド雑誌向けの特集記事だった。 ギャリー・クラインの言葉は、 「Klein自転車は最高のパフォーマンスを出す為に開発された道具。 飾っておかないで実際に乗って欲しい」というものだった。 観念的なバイクライドではなく、実際に乗り込んで汚してくれ、というメッセージを 日本のKleinファン(飾ってその美を自慢するだけ)に投げたのだ。

小野沢昭志
2001年11月07日

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