ボスは迷文家シリーズ

暗記や留学をするだけでは英語を習得することはできない


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青柳さんから頂いたメールです。首相は「こじきでも新聞が読める」と言っていたが、 実際には日本人は大学を出ても英語ができないし、識字率の高いことを自慢を していても世界で英語を話す人の割合が一番低いのが日本人だ。

私(小野沢)に言わせれば、大学を出てもというか、マジに勉強をやらせる高校までの 間の六年間を英語の勉強をしながら英語ができない、と言いたくなります。更には, 大学留学でアメリカで学びながらも英語ができない。これはどういうことなのか? 受験英語だけに責任を押し付けるわけにはいかないと思うのです。私は中一の 年からアメリカにペンパルをもって文通をしていました。学校で学んだ英語を同時 に応用していたのです。受験勉強はそっちのけでした。日本の問題点は応用と しての英語を教えていないところにあると思っています。英語を学ぶべき科目と して捉える前に思考表現の為の道具として考えなければならない筈なのですが、 どうも現状では単に暗記すればそれで良いという位置に押しやられております。 問題はそこにあると思うのです。英語である以前に意志伝達の為の道具なので すから、私は英語習得の為には次が必要だと思うのです。


1)	思考整理の訓練。 
2)	意思表現の訓練。 
3)	論理的思考と発言の訓練。
4)	討論の訓練。
5)	セルフ・エスティームを高める訓練。
6)	対人関係の訓練。

日本の成人に思考整理、意思表現、論理的思考、討論、そしてアメリカ人と対等に 対人関係をもつことをきちんと出きる人が少ないように見受けられます。大卒だから といってこれらをきちんとできるわけではありません。よって、大学を出たからといって 英語ができることにはなりません。英語力を云々する以前の思考と表現の問題なの です。意志伝達の為の言葉をきちんと使う為には上の1)〜6)の訓練が必要です。 これらが自然に身についている人もいれば、後になって自分で気がついて意識をし 乍ら注意深く言葉を使う人もいます。しかし、一般的にはその能力もなく気がつくこと もなく極めて効率が悪い言葉の使い方をしている人ばかりが多くいます。ヨーロッパ やアメリカでは母国語をきちんと使う為にこれらの訓練をしています。だから外国語 を2〜3年も勉強すれば語彙の少なさや文法の間違いから母国語を話すようなわけ にはいかないけれど、意思をきちんと伝えることには問題がなくなります。日本の学 校で、日本語の為に上の1)から6)を小学校の頃からきちんと教えれば、中学から 高校迄の六年の間に学ぶ英語を応用することは簡単にできるようになるはずです。

私は、アメリカとの30年のツキアイの間に様々な日本人を見てきました。思考整理が 出来ないために英語をきちんと話すことができない人。 論理思考ができないと、英語 が非常に稚拙になります。日本語で論理的に話すことが出来ない人にどうして、論理 が求められる英語を自信持って話すことができるのでしょうか。日本の英語教育はこ の点に全く気がついておりません。どれほどフレンドリーで会話好きであろうと、話し手 の思考に論理がないとアメリカの小学生以下の発言になります。アメリカ人に馴染む 人の中には、その力が自然と身につく人もいますが、一般的な日本人同士で固まって いる人たちは思考が日本人のままに留まり、論理の訓練をする場がないので、やはり きちんとした英語発言をする人がおりません。

セルフ・エスティーム(自信、自己評価)が低い人も対人関係の上で気負いが多くなり 会話が苦手になります。英語となるとシャイになる人はアメリカ人に対する劣等感が 強い場合が多いので、こういう人たちはセルフエスティームを上げることにより、英会 話が上達することがあります。セルフ・エスティームに関しても、日本の教育に大きな 責任があります。正解が良い子、誤りは駄目な子とする教育です。誤らなくとも、気 が弱い子は、間違いを恐れて発言しなくなるのです。何という教育の場なんでしょうか。 英語を間違えたら駄目と思われてしまい、会話が苦手になる場合もあるのです。

意思表現を上手におこなう為の道具として、学校で日本語の訓練をしていれば、それが 思考整理という脳の訓練となるので、自然に英語にも応用される筈です。これも大切な ことです。

対人関係が下手な人はシャイなことが多いので、尚更のこときちんとした会話をすること ができません。そういう人たちが仮に英語を学んだとしても言葉としての英語をつかう ことは難しいのです。仮に会話が出来たところで、全ては文字通り訳の翻訳言葉でしか なく、真の意味で心を通じ合わせあえるものとはなりにくいものです。私は、アメリカとの ツキ会い30年の中、ペンフレンドを含めれば40年の間に、様々なパターンをみてきま した。

英語が言葉である以上、話し手の思考をより効果的に表現する為の道具でなければな りません。これは算数や理科と異なって、話し手の全人格に深く関わってくるものです。 ところが日本では英語を一つの教科という位置付けをしている為に高校までの間に6年 間も勉強しながら思考の為の道具になることができないでいます。思考の為の道具でな くてどうして言葉となりうるのでしょうか。

青柳さんから更にメールが入りました。 「学校の英語の時間をもっと増やすべきだ」とい う意見があると、そこに返される応えは必ず、「自国語である日本語もろくに話せないのに 英語とは」というものばかり。日本人の中には英語アレルギーの人がまだまだ多くいるの ではないか。

こういう議論が多い事にアタマにきている小野沢はこの点に触れます。 何故ならば、ここ に論点のスリカエがあるからです。「学校の英語の時間をもっと増やすべきだ」という意見 はそれ独自に語られるべきなのです。この主張に対して、「自国語である日本語もろくに話 せないのに英語とは」、という反論は、反論に見えて実は反論ではないのです。単に議題 (トピック)をスリカエているだけでしかありません。問題はその場の誰もがこのスリカエに気 がついていないから、スリカエを反論として受け止めてしまっていることです。会議だったら 議長ですら気がついていません。議論が「英語か日本語か?」という選択の次元に発展さ せられてしまっているだけなのです。議論や会話中の脱線好きの日本人がよくやることです。 この反論を膨れ上げさせると、日本語がきちんとできるようにならないうちは理科も算数も やっている時間はないということになります。これは科学的(論理性をもった)反論ではなく、 単なる感情的なスナップでしかないことが分かります。

「英語の時間を、、」という議題が選択肢を与えているものでないという論理を自覚していれ ば、「日本語も満足にできないのに、、」という反論が如何に尤もらしく聞こえても、これが論 理を逸脱した感情の投げつけでしかないということを見抜くことができます。 そうでなく、 「日本語の時間を減らして英語を増やすべき」という議題であるならば、この反論に納得する ことはできるのです。しかし、そういう議論をしている訳ではないのに、こんな反論しか出せない 人が多いことが情けないです。こういう人がアメリカなんかに来て会議に出て日本人の知能の レベルの恥じさらしをしています。

青柳さんはさらに続けます。 一昔前までの日本では標準語を普及させるように努め ておりましたが、現在では標準語と同じように方言も大切にする方向に向いています。 それと同じ考え方で、私は英語は標準語よりも共通語という認識でよいと思っておりま す。日本語は方言として尊重すればよいのであって、日語英語両方をうまく共存させる べきだと思います。

小野沢の考えは上に述べておりますが、青柳さんがここで指摘される論点にも、英語 という言葉を学科としてではなく、意志伝達の為の道具という捉え方をしていることが 理解できます。英語が算数や理科社会と並ぶ学科ではなく、意思疎通の為のメディアで あるということです。

青柳さんは最後にこう閉めました。香港の大企業では、中国各地の出身者や外国人が いるために、英語を共通語としています。シンガポールも多民族国家が幸いして共通語 としての英語が普及しています。「英語は共通語だから」「日本語は方言だから」という 認識をまずもつべきでしょう。また、香港でも台湾でもシンガポールでも、子供には英語 名をつけて呼び合います。これは英語に同化させるのに非常に効果があがると思いま すので、日本でもぜひ実行すべきでしょう。

小野沢はここではちょこっとだけ同意しかねるのです。 香港の大企業で英語というのは 香港がつい最近まで英国の殖民地になっていたという歴史、そしてシンガポールは確か 1960年頃まで英国の殖民地、更にこの国には中国、マレイ、インド系からなるの多民族 国家で、宗教も仏教、道教、キリスト教、回教、ヒンズー教です。これらのどの言語ひとつ でも共通語とすることができない民族エゴがあるので英語は丁度いいわけです。これは 百以上の言葉をもつフィリッピンズやインドでも同様です。結果として、英語が共通語で 良かったということはありますが、英語を母国語とした背景は、単一民族単一宗教国家 といわれて日本の場合との比較では異なると考えます。

英語に馴染ませる為に英語名で呼ぶというのであれば、日本との比較では台湾の方が 例となりやすいと思います。インターナショナルな仕事に従事していない台湾の若者達 までもがこの国では英語名を持っています。これは台湾が対外貿易で成り立つ国である という自覚があるからです。中学の英語の時間の時に英語名が決まります。ですから、 英語を全く話すことができない一般事務社員でもフローラだとかグレイスだなんて名前を もっています。台湾とのツキアイが長い私は、フローラだとかいう名前が似つかわしくな いので何度も質問したことがありますが、彼らが英語名をもっている理由は、外国の取引 先にとって中国名が発音しにくいことと、英語ならば憶えやすいということでした。

アメリカなどと取引をしている日本の商社マンや、こちらに住んでいる日本人の中に英語 名で自分達を呼んでいる人が多くいますが、英語名を持っている新日本人の殆どが英語 が下手でアメリカ人ではなく日本人同士でこりかたまっているという現実の皮肉があります。 しかし、台湾人でも日本人でも中国人でもアメリカに入り込んでいる人ほど自分の親がつ けてくれた名前を誇りに思いアメリカ人もそれをきちんと憶えていてくれます。私はショージ で通しているし、台湾のトンシーツオにしても中国のナイワンキャンにしても、友人は母国人 ではなくアメリカ人ばかり。彼らの英語は流暢です。

おのざわショージ拝
07/30/01

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