ボスは迷文家シリーズ |
中産階級日米比較
中産階級とはブルジョアジーとプロレタリアートの間に存在する階級。大富豪という持てる側ではなく、労働者階級でもない。経済構造の中からみればモタナイ側なのだが、専門職と収入面からは゛少し゛は持てる側なのである。そんな中で上下の位置関係をつくりたがるのが人間で、これはどこの国へ行っても同様である。中産階級の中で特権階級に登った者たちをエリートとよぶ。官僚社会でいうところのキャリアー組みの局長クラスがそうよばれる。このクラスは日本、アメリカ、共産主義に拘わらず、極めて特権意識が高い層である。資本主義を搾取する側と搾取される側に分けてみたマルクスは、共産主義体制に台頭するエリートの特権化を予測しなかった。人間心理による独裁的エゴも見逃されておりました。彼が描いたユートピア社会構想に組み込むべきでした。共産主義者たちは一国共産主義ではなく、世界革命によって真の共産主義ができあがると叫んでおりましたが、やはり一部の特権をもつ者の支配が出現しやすいような土壌が存在する限り共産主義は専制政治に通じるものを持っているのです。正にそれこそが帝国主義的なものであって、共産主義はその資質を自らの身の内ちに秘めていたのです。共産主義に中に専制政治が育つに従ってエリートが台頭し、日本の官僚と同様な特権主義的搾取をするようになりました。官僚たちによる収賄はアメリカにも存在しますが、この国は第三者による管理システムが出来上がっているので、日本や共産国のようにやりたい放題ではありません。
アメリカ
マルクスは資本主義社会階級をブルジョアジーとプロレタリアートの二つに分けました。彼が予測し得なかったことは、アメリカ型資本主義社会に中間階級が発生するということでした。アメリカではティームスターユニオンに代表される労働組合運動も強いのですが、それは被支配者たちが支配者と戦うものではなく、被搾取側が搾取側と戦うというものでした。社会階級的に見た時、この労働組合に属する殆どの人々が中間階級に属するのです。日本もそうであるように、課長クラス以上の管理職は企業側、即、搾取側=支配側となります。彼らも経済階級的には中間階級に入ります。意識的にも中間に入るのですが、それは肉体労働者がもつ中間階級意識とは異なります。
アメリカの中産階級は日本のそれとは異なり、人々の意識の上でも平均層の中に幾重もの異なった断層に分けております。日本でいうところの中間層がアメリカでは極めて薄いように観察されます。弁護士や医者に代表されるプチブルは中間階級の中での特権意識をもつ階級で、これは日本もアメリカも意識的には変わることがありません。平均的サラリーマンに関していうならば、アメリカでは頭脳労働者と肉体労働者の間の階級意識が歴然としています。特に東部に行くとそうです。頭脳労働者は工場と事務所の間を出入りする鍵をもっておりますが、肉体労働者にはそれが許されません。技術者でない限り、アメリカの肉体労働者は搾取される側という意識を強くもっております。日本では中間層を採用すれば、質の上でのあたりハズレがありませんが、アメリカではその考えをあてはめることができません。アメリカでは、日本的なアタリとぶちあたることが難しいのです。それは彼らが専門職化しているからであって、日本の様に何でもこなす(期待されている)ジェネラリストを育てないからです。ここでアメリカ法人の日本人がアメリカ人社員を見誤ります。何でも浅くこなしてしまう日本人は専門分野以外ではポケを出すアメリカ人を見下すのです。
アメリカのスペシャリストは履歴書上に様々な経験を列記しますが、日本では転職を悪とする見方があるので、他所に自分を売り込むことができない人たちの忠誠を重んじておりました。これは日本的独特の村社会的な発想だと思っております。
アメリカ東部はパッケージが大切な社会です。日本的な上下関係がパッケージで決まる傾向にあります。学歴、服装、運転する車、、、社会的な上下関係がこれらで決められることがシバシバあります。アメリカ西部は、そんな権威主義に反するリベラルな人が多く、東部的=日本的なパッケージ主義とは疎遠な場所であります。
日本
中産階級が絶対的な社会です。肉体労働者も頭脳労働者も食堂のおじさんも、鳶のオニーサンも、パートのオバサンも、誰もが同じ階級に属していると信じています。大企業の部長クラスですら本人は中間階級に属していると思っております。これはドングリ教育の産物でしょう。
日本は、中産階級意識が蔓延している社会なので、その中で人々は上下の位置関係をつけようとします。学歴や職歴によって相手を崇めたり見下したりすることは、中産階級に生きる人間の性(さが)なのです。社会的上下関係を顕著にする為の道具に、希少価値の高いブランド品や高級とされているブランド品が使われます。日本には高級ブランド品の良さに惚れ込んだ上で使用している人は「少ない」でしょう。そのブランドで身を飾らなければ「見劣り」がするだろうという強迫観念に襲われている場合が多いのです。他者に顕示する為の自己作りに流されて、本質を失っている人(大人)と出会うことが多くあります。彼ら彼女等の会話内容にその人たちの人間の本質を感じ取ることができません。本質を持った金持ちだけが選んでいた生活スタイルを中産階級の人間達が表面的に真似ただけなので、底が浅いわけです。劣悪な裏までが透き通って見えるのですが、本人達がそれに気がついていないことが哀れです。彼ら彼女等は世界各国にショッピング旅行をして馬鹿丸出しをやっています。60年代のアメリカン・ツーリストに似たオノボリサン加減を今の日本人はやっています。
おのざわショージ
090201