ボスは迷文家シリーズ |
分別はアタマにフタ
初70年代の東京で一週間に150〜200km距離をロードバイク(自転車)で走りこむ生活をしていて、もっと自転車三昧の生活に入りたくて、この地に移ってきました。今では一週間に最低でも320kmを走りこむ生活に移り20年になりました。 僕がアメリカに移住した動機が動機だけに、周囲からは、上の言葉「もう少し大人になりなさい」、「分別をもったらどうか」、「いい歳して何を考えているのか、、」、、こんなことをサンザン言われてしまいました。
つくづく思うことは、上述の判断基準が日本人の可能性を抑え込んでいるということ。誰もがドングリで同じ事をやって同じ考え方をしていれば、社会規律が守られるという村社会日本独特の社会制御法。
先日、アマゾンでワラ小屋生活をしてきました。僕は来年の一月に再びアマゾンを訪れてジャングルの原住民部落で執り行なわれる式典の主役になります。酋長の孫娘の後見人になることに決まったのです。アンデス山脈からアマゾンにはマウンテンバイクで進みます。そしてその自転車をプレゼントとして置いてくる予定です。彼地はとても危険で、子供達が臓器密売の為に連れ去られる事件が多発しているのです。親は後見人探しに必死。へたな人に頼めばその人が密売者ということもありうる世界です。子供達は連れ去られて解体されるのです。グアテマラ中の旅もしたこともありますが、あの国でも同じです。グアテマラで、僕は先住民族の女性二人を日本レストランに連れて行きました。そして彼女等の姿をみて、門番は入店拒否という差別に出たのです。僕も先住民族の姿をしていたので、同様に思われたのでしょう。そこで日本語でマネージャーを呼べと交渉し、彼に、この店の差別を指摘しました。満員だから席はないと門で断られたのですが、マネージャーは僕が日本人ということを知って入店許可。店内はガラガラでした。60年代のアメリカでもそうでしたが、黒人差別激しい中、既成事実をつくりあげる努力があちこちでなされていました。しかし、中南米では今も尚、60年代のアメリカ以前の差別がおこなわれています。平和や平等が当然の日本では考えられないことばかりです。こういう国で、人権を勝ち取るということは理想論をぶつことによって現実論を否定することではないのです。ひとつづつ、出きるところから勝ち得ていくことです。
<アマゾン幼女の後見人に関して日本の親類たちからは、「馬鹿なことをやる」「大人なんだから大人の考えをもって」等と呆れかえられています。彼らの反応の善悪について触れているのではありません。「大人になりなさい」という言葉には、高い立場からの言葉には全てを乗越えたところの正義があるという極めて非論理的な傲慢があるということの指摘です。そこには抑圧を一方的に押し付ける人格無視もあります。これは古くからの権威主義に基いているもので、日本の民衆の間に蔓延している考え方です。「東大を出ているあの人の言っていることは正しい」、「朝日新聞が言っているのだから間違いはないだろう」、「テレビでも意見を言っている、、」。「若年の子供にはまだ理解ができていないのだから、大人の言うことをきいて、、」等など。これらの権威的性質が全てに上回る正論という考え方が、日本人の判断基準となっている事実があります。これは相手が子供でも一個の人格として応じるアメリカとは考え方が異なります。
おのざわショージ
100801