ボスは迷文家シリーズ |
時間ヒステリア
大きな勘違い:W杯キャンプ地市役所側による文化交流スケジュール
今朝のMSニュースによると、セネガルのサッカーW杯のキャンプ地である静岡県藤枝市市役所課長が セネガルチームによる「“セネガルタイム”にことごとく(文化交流のスケジュールを)粉砕されて自殺」 したと伝えている。自殺した課長はとてもマジメな人だったのだろう。でもこのニュースを目にして 僕は何とも言えない気持ちにさせられた。セネガルタイムが問題なのではない。僕が指摘したい 点は受入側による勘違いである。外国のチームは、国際親善や文化交流の為にキャンプ地にやってくる のではない。目的はあくまでも試合前の調整とトレーニングだ。その目的を忘れて文化交流の為に 分刻みで時間を費やさせること自体が本末転倒なのではなかろうか。
僕はカリブ海にあるコズメル島に二度ほど行ったことがあるのである程度想像がつくのだが、ここでは 時間の流れのスピードが異なる。全てがゆったりとしている。Time flows so slowlyなのである。その 場の空気にそれが感じられるのだから不思議だ。今年の1月に行ったペルーのマチュピチュから山を 下るバスは満席にならないと出発しないといったもので予定なんて絶たれるスケジュール。全てがのん びりとしていた。何しろスケジュールがないのだ。コズメル島と比較したら叱られるかもしれないが、 セネガルにしても大差ないであろう。そんな時間感覚の人たちを、日本的時間ヒステリーに巻き込ませ ようとしているのが、W杯狂騒にともなう市役所による文化交流スケジュールである。
自殺者をうみ出すほどシビアーなのが日本的時間ヒステリア。急いでもいない時ですら時間に苛々 している人たち。シアトル空港に一流監査法人のトップ会計士を見送ったことがあった。 出発時間二時間前だから充分な時間があった。チェックイン時、僕らの前にはたった一人しかいなかった。 しかし、時間ヒステリアに身体のリズムが調整されている彼は、前の人の背中にピッタリとくっついて一人 で苛々していた。彼は何社もの上場を手がけてきた辣腕なビジネスマンである。既に一財産を築き上げ てもいる裕福な人だ。しかし彼にはユトリがなかった。空間が広いアメリカで、たった一人しか並んで いないチェックインカウンターで、前の人の背中にピッタリとついて苛々している彼の姿、、。シアトル では不自然であった。
自殺された課長には不謹慎な言い方となるが、何かを勘違い しているとしか思えない。選手たちは受入側との文化交流が目的で来たのではないのに、市役所側は 調整しなければならない選手たちをマス・ヒステリアに巻き込んでいるのである。彼等は大きな 勘違いをしているとしかいえない。
MSニュース 5月25日
W杯キャンプ地 課長自殺の裏側
「町おこし」の皮算用思惑違い
サッカーのワールドカップ(W杯)のキャンプをめぐるトラブルが続発する中、ついに犠牲者が出た。
セネガル代表のキャンプを受け入れた静岡県藤枝市の担当課長が自殺したのだ。まじめな課長の死を現地
で追うと、一つには日本・セネガル間に横たわる“時間ギャップ”ともいうべき感覚のずれが浮かび上が
る。(富田光、上坂修子)
■“セネガル時間”の溝深く
「十八時、セネガル代表レセプション」「十九時三十分、セネガル村開所式」「十九時四十五分セネ ガルショー(市民会館)」…。
市役所前にあるセネガルキャンプ地実行委員会事務局には、分刻みの予定がびっしり書き込まれた ボードがかけられている。机の上には「試合予定」「文化交流」など項目別に分かれたファイルが積ま れている。表紙に「岡村」の文字が見える。
同事務局次長を兼任する岡村修・市スポーツ振興課長(52)は十八日朝、自宅で死んでいるのを 発見された。岡村さんは四月一日、農業振興関係の部署から異動した。藤枝北高校時代にはサッカー部で 活躍し、市役所でもサッカー部監督を務めた。岡村さんの異動は適材適所を絵に描いたような人事のは ずだった。
だが、岡村さんが丹精込めて作ったスケジュールは、“セネガルタイム”にことごとく粉砕される。
十六日の到着は二時間半遅れた。翌日、セネガル側は「予定より二日早めて二十二日にここを出る」 と“宣告”した。さらに同じ静岡県のJリーグチーム、ジュビロ磐田と十八日に予定されていた親善 試合も「疲れているので日を変えてくれ」と要求し、結局、予定日を十九日にずらし相手も柏レイソル に変えて試合を行った。また市民体育館に設置したセネガル村に展示するはずの伝統工芸品などの一部や、 市内で行うセネガルショーに出演する歌手の一人も来なかった。
岡村さんはトラブルが起こるたびに通訳を通して東京のセネガル大使館に問い合わせたが、大使館は 本国のスポーツ省に判断を仰がなければならず、折衝は毎回、難航を極めた。九時間ある時差のため岡村 さんは不眠不休で連絡を待ち続けたという。
■『遅れは当たり前、感覚まったく異なる』
「しんどい。疲れた」。岡村さんは上司の秋山和久教育部長や同僚らに漏らしていた。秋山部長は事務局 の人数を増やす一方、「一人で背負い込むな」と励ました。だが、十七日の歓迎パーティーの後、帰宅した 岡村さんは…。
「『電車が三分遅れて騒ぐのは日本人だけ。仲間と手分けしてゆったりやってほしい』と何度も アドバイスした。何日かすれば必ず終わる仕事、家族もいたのに」。秋山部長は事務局の岡村さんの席の 近くで悔しがる。顔はやつれ、目が潤んでいる。
セネガル代表は二十二日、エクアドルとの試合のため鳥取に向かった。セネガル・スポーツ省のアダマ・ チャム副大臣は「関係者の死は知っていたが、自殺だったのか」と絶句した。
インシャ・アッラー−。セネガルの合言葉だ。「もし神が望めば」との意味が込められている。 過酷な自然条件のセネガルでは、再会の約束をしても果たせるかどうか不明だ。だから「神が望めばまた 会いましょう」と言って別れる。約束という概念そのものが違うのだ。セネガル村でボランティアをする 朝比奈義之さんも「遅れは当たり前で、時間の感覚がまったく違う」と証言する。
“北極と南極”ほども違う両国の文化の違いを市当局はどう考えていたのか。松野輝洋市長は「深く文化 まで担当者が知っていたかと言われると自信がない」と言葉少なだ。
藤枝市は、一九二四年の創立以来、全国選手権制覇四回という藤枝東高校を中心とした“サッカーの街” だ。岡村さんが監督を務めた市役所チームは自治体選手権で十九回も優勝している。だから「W杯にかか わる必要があったし、市民も望んでいた」(松野市長)という。松村俊三教育長も「子供たちが異国文化に 接する良いチャンスと考えた」と話す。
おのざわショージ
2002年5月25日