ボスは迷文家シリーズ |
小泉首相による靖国神社参拝に欠けていたもの
戦争の悲しみは、日本人の心の中だけに残されているのではない!
毎年のこと乍ら、猛暑の日本では歴代首相による靖国神社参拝が政治の場で取り上げら れる。今年の小泉首相による参拝ほど、過去に争議をもたらしたものはなかったであろう。 近隣諸国が騒ぎたてると、日本の側からは、戦争は終わって既に56年も過ぎているのに、 という戸惑いの声があがった。戦後生れのこの私もそう思っていた。しかし、戦争を観念的 にとらえるのではなく、盧溝橋事件まで遡って、日本がこの戦争で何をしたかという史実を 調べながら終戦記念日を過ごした私は、戦争で受けた悲しみが日本人だけのものではなく、 もって行き場のない悲しみや苦しみがアジア近隣諸国の人々の心の中には深く残されてい るということを強く思い出すこととなった。戦争は終わったとする日本人の主張を素直に受 け止めることができない人たちの心の痛みが放つ怒りは、残り火以上にシッカリと燃え残っ ているようでもある。戦争の悲しみは、日本国民だけが受けたものではない。日本が仕掛 けた戦争の犠牲となったアジアの人々は、日本の終戦記念日を見ているのだ。彼らの悲し みに涙を流すこともなく、戦争の犠牲となった日本兵だけに涙するところに、日本人が反省 すべき点があるのではなかろうか。私は、これからの終戦記念日を、満州事変から太平洋 戦争について調べる日とすることにした。インターネットのおかげで、最近では何でも簡単 に調べることができるようになったのでありがたい。
毎年のことですが、8月15日の終戦記念日が過ぎたあたりから朝夕はめっきりと肌寒くなり、 Teeシャツの上に長袖のシャツ姿で丁度良い日が続くようになりました。15日前には32〜3 度まで上がったのですから、温度差が激しい時期、即、季節の変わり目になってきたのでしょ う。これからしばらくは、暑さと寒さを繰り返して、だんだんと秋になっていくのですね。日照時 間は確実に短くなっております。仕事を終えてから毎夕バイクを走らせておりますが、どんなに 激しくペダルをこいでいても、山陰のあたりにくると冷えた空気が汗を冷やしていることが感 じられます。シアトルの今はそんな時期に入ったのです。
小泉さんも大変な立場でしたね。近隣諸国がどうのこうのと、、ウルサイですね。あれは 完全に内政干渉ですよ。しかし、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏し、サンフランシ スコ条約で連合軍との間で戦争終結をしてしまった立場をとる日本は今とても中途半端 な立場に置かれています。
それぞれの国々との間における戦争責任や補償は済ませてきたとする日本の政治パフ ォーマンスは下手のアホ馬鹿です。小泉さんの誠意主義もアホ馬鹿です。日本のリーダ ーたちはメディアを含めて焦点ハズレばかりをやっています。
終戦記念日とは何なのでしょうか? この定義づけができていない、国民的コンセンサス がとれていないところに深刻な問題があるのです。感情的に、戦争を知る国民は、この日 を敗戦の日、日本が降伏をした日と思っていることでしょう。首相は立場上、二度と戦争を やってはいけないことを思い出す日としているかもしれません。そして実際には知覧の特 攻隊の悲運に涙を流したのです。そして、全国民が何の疑問を持たずに同様な思いをして おりました。
しかし、私は別の観方をしています。首相とは日本のリーダーとして国際的な顔をもってい ます。満州事変に始まった太平洋戦争は、日本によるアジア侵略と人民搾取の戦争でした。 悲しみは戦争で死んでいった日本兵だけのものではないのです。朝鮮半島や中国、そして 東南アジア諸国の人々の心の中にも戦争で受けた爪あとと悲しみが怒りとなって残されて いるのです。一国のリーダーとして、小泉首相は「全ての人々が受けた悲しみ」に涙を流す べきでした。それをやってこそのリーダーではないでしょうか。しかし、現実には、全ての人 々が受けた悲しみに触れても、涙を流したのは知覧だけ。言葉での謝罪とはリップサービス になりがちです。彼がいかに誠心誠意をその言葉に込めていたとしても、知覧でしか涙しな かったところに、小泉さんによるリーダーシップそしてパフォーマンスの限界を感じました。し かし、他にはBetterチョイスがないので私は彼を応援します。
彼に来年やって欲しいことがあります。それは、終戦記念日の定義を明確にすることです。 リーダーなのですから、涙流しのパフォーマンスだけでなく、近隣諸国の怒りを納めるパフォ ―マンスもしてもらいたいところです。戦争の犠牲となった人々(日本他国を問わず)の苦 しみ、悲しみ、そして怒りなどの戦争の悲惨さを日本国民に学ん(現実的に知識を入れる) でもらうべきです。感情的に「戦争はいけない」とするのでは不十分です。近隣諸国の人々 による日本への怒りが何に由来するものかを国民に知らせなかったら、日本国としての反 省にはならないでしょう。過去をきちんと知らされていなければ日本国民が反省をすること だってできないのです。
国民全体が反省したら、今まで以上に責任問題を追及されるのではないか?という恐れが 政府にはあると思うのですが、近隣諸国に納得してもらう上でも意義のあるパフォーマンス ではありますが、日本人の誠意として不可欠な基礎となるものでもあります。
戦争責任を認めた上で、更に補償問題を追求されることも考えられます。その場合にそなえ て、過去に夫々の国々との間で結んできた補償契約のリストや内容を知らせるべきです。こ れは日本国民も知るべきことなのです。こうしたPR活動なしに、どうして政治(マーケティン グ)ができるのでしょうか。小泉さんによる誠意主義だけでは政治ではないのです。パフォー マンスとは、宣伝活動でもあるわけですから、国家としての演出も大切だと思います。補償は 済んだ、という立場をとるならば、その内容をメディアに流さなければなりません。
国家間の補償は済んだが、国民の中で日本軍の犠牲になった慰安婦などの補償が未だだと されています。日本は、この点に対して誠意を見せずに逃げまくってきました。日本国民は他 人事として関心すら寄せません。 慰安婦とされた女性たちも今では高齢です。日本政府は、 彼女達の命もあとは長くない、次の世代になればこの経験も忘れられるだろうとでも思ってい るんでしょうか? 真の意味での反省の気持ちが日本にあるならば、イクバクかの額をもって 彼女らに謝罪を入れるべきです。額の大小の問題ではないでしょう。彼女達は本心からの謝 罪を求めているのです。日系収容所に容れられた人々への補償は10年ほど前になされたが 確か一人2万ドルという額で、これは彼らが受けた精神的痛みや財産と時間の損失を埋める ことができる額ではありませんでした。しかし、日系人はアメリカ政府が罪を認めたことに勝利 を感じとったのです。朝鮮半島もそれを待っているのではないでしょうか。
終戦記念日は、日本が犯した罪を反省する日でなければ不十分なのですが、自分たちが受 けた悲しみだけを思い出す日として、近隣諸国を結果として刺激する小泉さんによる善意の パフォーマンスを正さなければないという政治的配慮があったからこその参拝の日程繰り上 げだったものと思います。アジア侵略ヤリ逃げでシラバックレようとするお家(政府)の事情の 自覚をもたなかった小泉さんの誠意主義は国民の目にはとれも新鮮ですが、政治家としては 配慮不足なものでした。
日本人の多くは、「A級戦犯云々ではないんだよなあ」と靖国神社参拝を語りながら、「他国 からの批判が理解できない」と戸惑っておりましたが、それは彼らの言いがかりを文字通りに 受け取っていたからでしょう。近隣諸国だって小泉さんが参拝したい対象は無名の戦死たち であることを理解していた筈。しかし、他国が主張したいことは、日本が降伏したおかげで彼 らの戦争も終わった(日本人が侵略を終えた)記念日ということでもあるのです。
我々がけっして言ってはならないことは、「戦争は既に過去のこと」という無神経な言葉です。 朝鮮半島や日本の中に苦しみが残る限り、Koreaとの戦争は終結されていないのです。神 風特攻隊の悲しみだけを語ってはならないということなのです。それを理解する上でも、終 戦記念日には戦争の歴史を学ぶ日とすべきなのです。それによって日本人は心からの反省 をすることになるのではないか、終戦記念日にインターネットを通じて歴史を振り返った時、そ んな風に思いました。
おのざわショージ拝
08/17/01
青柳さんからのコメントが入りましたので、ご紹介します。
靖国神社参拝是非に関する問題は毎年繰り返されて、いろいろな方が「もうこのへんでどう にかならないか」と言っていますが、また来年も繰り返されるのでしょう。なぜなら、合祀問 題のかたがつかないと思われるからです。靖国神社では、分祀に反対しており、政府は分 祀を強制すると憲法違反となると報じられています。
第2次大戦の「加害者としての立場を忘れてきたツケ」が日本に回ってきた感じです。空襲 と原爆によって日本国民が受けた被害があまりにも大きかった為に、日本人の心の中には、 日本が、この戦争の加害者であったという自覚に薄いところがあります。アメリカも加害者で すが、アメリカは戦後の日本をいち早く復興させて今日の繁栄(形ばかりの)の基礎を築くこ とに尽力したので、戦争責任を果たしたのでしょう。日本は戦後の復興時に朝鮮戦争が起 こって特需で儲けたのですが、そのさいにも苦しんでいる農民からタダ同然で土地を買いあ さった日本企業による仕業などがありました。日本人への不信感増幅の原因のひとつとな った筈です。
私は「終戦記念日」とは言わずに「降伏節」と言います。韓国では「光復節」と言いますが、こ れで韓国は「幸福」になれたのですから・・・。
小泉首相は「進むも地獄、戻るも地獄」と言っていましたが、自分で種(8月15日に必ず参 拝すると公言)を蒔いておきながら、こういう発言をするのは不可解です。近隣諸国がウル サイとか内政干渉という人もいますが、近隣諸国にとっては当事者なのですから、内政干 渉とはいえないと思います。スミマセン。それにしても、日本の政治家たちがやることといえ ば、常に場当たり的なことばかりですね。
知覧の特攻隊の悲運に涙を流した小泉さんの涙に心を動かされて、全国民は確かに何の 疑問を持たずに小泉さんと同じような思いをしたのでが、客観的にみるならば、彼らがマイ ンドコントロールにかかっていたという現象ということができます。
戦没者の中には、日本軍の目指すものを信じなかった人、「戦死しても靖国には行きたくな い」と言った人、「このままなら日本は必ず負ける」と信じてた人もいたようです。
小泉首相にリーダーシップとしての限界があるということですが、そんな人でも応援しなけれ ばならないとは日本の人材不足が深刻であるということなのでしょうね。
アジアの人々は、日本人の国民性である「全体主義的な性格」を心配しています。無批判 に流行を受け入れるなどはまだよいのですが、何が何でも国民一丸となって戦う、または 支持するなんていう精神は異常としか映っていないのです。 Aoyagi
青柳さんによるコメントの最後の段落、「アジアの人々は、日本人の国民性である「全体 主義的な性格」を心配しています。無批判に流行を受け入れるなどはまだよいのですが、 何が何でも国民一丸となって戦う、または支持するなんていう精神は異常としか映ってい ないのです。 Aoyagi」に追記コメントを下記にします。
アメリカのあちこちで見られる日本人のグループ化。会社のランチやAfterWorkの飲み会も 含めて、日本人は仲間を作っていないと安心していることができない。仲間の何人かが輪か ら抜け出て特殊なことをやりだすと、残されたものの心のうちには、自分一人だけが取り残さ れるのではないかという焦燥感にかられるので、やりたくないことでもいっしょになってやるこ とが多い。日本人は心の中で自分が所属するグループを求めている。その中には排他的に なるものも多くある。余所者たちを入れない排他性を示すことが多々ある。これらのグループ は自分達の社会的地位や評価度を保つ為の誇りの拠りどころでもある。自分達でつくるブラ ンドということもできる。そんな彼らの多くは、一人でいる時の力の見せ方が得意でない。グル ープ(ブランド)の御旗で相手をひれ伏させるやり方しか知らないので、その法則にあてはま らない私のような人間がでてくると彼らは戸惑いを隠せなくなり、堂々と正面きって対峙するこ ともできず、裏に回って卑劣なことをする場合が多々みられる。私はそんな人間たちから何度 も背中を刺されている。(以前、このような書き方をしたら、「何針か縫ったのですか?」と質問 されたことがありますが、「いない場所で卑劣なことをやられた」という意味です)
グループで動く彼らは、「みんなもやっているのだから」という理由を大前提に無批判になって しまう傾向にある。仮に僅かな疑問があっても、「皆もそうなんだから」という理由で全てを正当 化するのだ。これは過去の全体主義時代にみられただけではなく、現在も日常生活の中で頻 繁にみられることである。 昔ひんぱんに見かけられた光景に、日本の団体男性観光客たちが 台湾の娼婦同伴で朝エレベーターをいっしょに降りてきて、朝食をともに摂っている姿があった のだが、男性同士は仲間同士なので挨拶をしあっている。 彼らも、一人旅行だったら、あそこ まで堂々と国際恥曝しをすることもなかっただろうと思った。(小野沢)