ボスは迷文家シリーズ |
昏迷する日本を救うもの
権威主義態度が改まるか?
馬渕さん
24日月曜のCOOLに過ごそう、適格な状況観察ですね。
日本の間違いは、ひとつに権威主義崇拝姿勢にあると思っています。 この点に関して、日本人は自覚をもっていないと思います。 この点の指摘をすれば否定をするでしょう。 しかし、根元は権威主義崇拝姿勢にあるのです。 それが学歴・受験信仰という形であらわれています。 現象としては、次の考え方にみることができます。
1. ドコソコ大学を出たあの人が言っていることだから間違いはない筈
2. 朝日新聞のアタマが良い人たちが間違ったことを言うわけがない。
3. テレビで解説をやっているくらいの人がなんでこんなことを?
4. 良い大学をでて良い会社に入る
5. ETC
こうした思考が、指向、志向、施行、嗜好となって日常生活における判断の 礎を作り上げています。逆にいえば、自分の心や頭脳に基づいた思考展開 のチャンスを放棄しているのです。よって、受験戦争をクリアーした 権威に判断を委ねる、特に高度な内容ならばそうしておくことが適切だ、、 という態度をとります。
更には、日常諸事の判断においても、次の判断が基準となっていて、 そこでは表面現象的な思考しか働いていないのです。これも自己思考の放棄 であり、多数という権威にあわせる姿勢です。
「オトナリも、やっていないから 我々もやらなくてもいいんじゃないか、、、、?」
「オトナリがもうやっているのに、我々だけがやらないのはまずい、、、」
日本人のこうした生き方の根元は儒教にあると思っています。 目上に従い忍耐を美とする生き方です。
儒教とは、
そもそも権威をもつ側が、権威をもたない側を支配する上での都合の良い考え方を教えるもので、
思考力を抜き取られた大衆や愚民たちを支配する上で大きな効果をだしたもの、と日本の歴史が
示しています。圧政の日本で革命がおきなかったし、革命の動きすらなかったということが、それの
証明です。百姓たちは搾取された結果餓死までしています。それでも儒教は辛抱を
おしえるだけでした。
スペイン征服者たちによる植民地主義は宗教支配から手をつけました。 征服ターゲットにおかれた土地の国民をカトリックに改宗して、彼等を動かして時の政権を転覆させ たのです。宗教支配があったので、征服したあとも、宗教を操ることにより支配に困難がともなわな いからです。後にローマ・カトリック教会は、カトリックが中南米支配に利用されたことで謝罪を 入れました。
天草四郎の反乱、伊達正宗とスペインの密着、、 すべて日本植民地化に向けた征服者たちの陰謀であった。 これらの全てが、日本とタイ国をはぶくアジアの歴史、そして中南米やアフリカの歴史が証明しているのです。 日本は、台湾や韓国を征服するのに、教育をつかいました。韓国はもともと儒教の国でしたから、宗教は 不要でした。
日本に革命がなかったと言うと、明治維新が日本の革命ではなかったのか? と指摘する御仁 がかなりおります。僕はこんな指摘をされると一瞬困惑するのです。何故ならば、言い手が クーデターと革命を同義語を思っているからです。僕にしてみれば、二つの違いをわかっていて 当然なのですが、この違いを混同している人たちが多くいるようです。明治維新は人民による 革命ではなかった。エリート(意識高く知識もそなえた)たちによる戦略的な徳川政権を転覆させる 戦いでした。革命とは人民の力が主の立場をとりますが、明治維新にはそれがなかった。
話は大きく外れましたが、日本では権威主義とそれを支える儒教思想が日本の大衆を支配してきたのです。 知識派エリートたちは、数字をつかい日本の対外貸付金額の高さをもって、日本はまだまだだ、と言います。 しかし、貸付金とは流動金ではありません。ハッキリといって、日本の現状を救う上ではウンコの役にも たたないのです。知識派エリートたちは、日本が昏迷の時代に入る前から、ジャーナリズム不在の 日本マスコミ(メディア)のいうことだけを権威主義崇拝態度で信じてきたのです。ここに日本的知識派= 受験勉強結果人たちの限界をみることができます。知識をもっているだけで、現実的な解決案をうみ出すこと をしないし、仮にアイディアを産み出しても、その考えを具体化する為の行動力を示さないのです。
貴殿は、
「論理的に自分の頭で考えるという作業を、日常生活の中ですでに放棄してしまっている日本人が、
どんどん増えているからだろう。」
と指摘されていますが、正にその通り。
更につけ加えれば、
「もともと自分の頭で考えるという作業をしていたとは言っても、全てが権威崇拝に基づいているものだったので、
それが本当の思考であったといえるのか、という問題にぶつかります。そして、思考した結果を具体的に
応用するという作業までを含めると、日本にはその訓練ができた人が少ないのです。誰もが、知識ご披露だけを
目的とした会話を楽しむだけで、そんなに良い考えならば実行すれば良いと思うのだけれども、誰一人として
行動をとる人がいないのです。行動は誰かエライ(権威者)がやってくれるから良いと、羊の群れに隠れます」
ですから、今日の日本を救うには、言っているだけでなく試行錯誤の行動が必要。それを試みる人が必要 なのです。しかし、自分の頭で考えるという作業ができる人が少なくなっていては、具体的行動もあったものでは ないですね。
おのざわショージ拝
062502
COOLに過ごそう 0624 Mon.
先日、所用で大阪へ行く機会があり、久しぶりにトレードの世界から少し距離を置いた数日を過ごした。
日本はますます混沌とした方向へ進み、うすうすわかっているが、そしてどうやって修正すればいいのかがわからずに迷走している。
自力で修正するためのシステムが、まるで機能していないように見える。
論理的に自分の頭で考えるという作業を、日常生活の中ですでに放棄してしまっている日本人が、どんどん増えているからだろう。
まるで成熟していない子供が、不相応な金銭だけを与えられ、右往左往しているようなものだというのが、私の日本観として一番よくわかるたとえかもしれない。
誰か(マスコミやその世界でのカリスマ?)からテーマを与えられ、煽られ引きずられるままに身を任せ、よく考えもせずに熱中し、その方向へ全力で走り出す。
だが基礎体力がないものだから、投げやりになり、続かなくなり飽きてしまう。
そうして流れから脱落したものが、感情で文句をつけはじめる。
それも一見筋が通っているような理屈で武装し、まわりを困らせるからタチが悪い。
そして、周りがそれに載って騒ぎ始めると、丘に上がってしまうという無責任さも兼ね備えている。
こういう手合いの日本人が確実に増えている。
身近な例では、小泉首相に対する考え方やサッカーに対する熱狂振りというパターンを考えてみれば十分わかるだろう。
自分で情報を取捨選択し、自分の頭で考えることを、あきらめないファイトを持ち続ける。
これが大人として、また社会人としての義務だ。
誰でも、時には軌道がずれ、そして間違うことがある。
そんなことで、簡単に闘うことをあきらめてしまう。
こうした大人を見て育つ子供が、好むと好まざるに関わらず、日本の未来を作る。
疲れ果て、夢を持てない大人は、こうしたことをつい忘れてしまう。
自分のことだけ考えるのはラクだから。
トレードという武器をどう使うか?
試行錯誤を続けるファイトをどれだけ持ち続けられるか?
時に旅は、違った角度から考えるチャンスを与え、また感傷的にしてくれる。