ボスは迷文家シリーズ

ラスベガスのコンベンションから戻って


目次に戻る


昨夜ラスベガスから戻りました。コンベンションでした。こちらに住み移ってから 20回目のインターバイク・ショーという自転車業界のトレードショー。テロ事件の 影響で参加しなかった日本勢が多かったのですが、台湾やヨーロッパは全員 来ておりました。僕のマウンテンバイク業界とのツキアイは草の根の頃まで 遡るのですが、古き良き時代の仲間の殆どが姿を消して、その代わり、企業化 したマウンテンバイク人間ばかりが存在感を示していました。マウンテンバイク ばかりではなく、80年代、業界がまだ小さかった頃の仲間の顔も少なくなって 僕だけが業界に取り残されたというような感じを受けていたのです。そんな中で 久しぶりに出あった連中は、お互いに同じ思いから再会を喜びあったいたのです。

デイブ・モンタギュー(ボストン在)
「ローガン空港(ボストン空港)のセキュリティーは、まだまだいい加減だよ」 彼のカバンの中には、拳銃の形をした自転車部品とカッターナイフが入っていたが セキュリティーで止められることはなくスンナリと通過OK。 この男は、元シアトルに住んでいた秀才。ボーイングのベルビュー研究所勤務 (博士号クラスの科学者だけが集められたインスティテューション)。 彼はここに勤めていた。その後、出身地のボストンに戻りモンタギューという 折りたたみ自転車を開発。折りたたみとはいっても小型ではなく、普通サイズの マウンテンバイクの折りたたみだ。中々利口な男で、BMWと契約をして、彼らに この自転車を販売した。今は、軍用のマウンテンバイクを開発。見本市の展示は アーミーのテントに迷彩服。セクシーブロンドを三人連れてきて、彼女等に迷彩 パンツをはかせ、上はピチピチのタンクトップ。けっこう注目を浴びていました。

ジム・ソレンセン
この男は、昔シカゴでシュインというメーカーの買い付けをしていて、僕は 毎朝彼の事務所に7時頃に訪れてコーヒーを飲んでいました。彼はアメリカの 名門シュインという本に名を連ねるほどシュインに組み込まれていた人でした。 ジムは、ローガン空港から飛び立ちたくなかったので、NYのラグアディアまで車 で行ってそこから出ようとしたら、フライトがキャンセルになり、ボストンまで廻されて、 結局ボストン発となった。苦笑していました。

ビル・コリン
まったく御曹司たちは何を考えているんだか、、、。ビルはアメリカ5大ビール会社の 創始者の孫である。かなりの遺産をもらっている。自転車好きでプロショップを始めた。 景気が悪いねえと冴えない顔をしていた。遊んでいても孫の代まで贅沢三昧の生活 ができるだけの財産があるんだけれど、、、。

トム・ケロッグ
言わずと知れたケロッグ・コーンフレークスの孫。彼も自転車に取り付かれて一人だ。 ショーの会場で一生懸命に働いていた。

ケビン・ジャクソン
僕は彼とともに12年ほど前に日本にいっしょに行ったことがある。 業界を離れたが 一年に一度は会っている。彼はハリウッドでディレクターと脇役をやっている。 人気テレビ番組「フレンズ」のディレクトを1エピソードをやったり、あちこちでチョコチョコ とやっている。映画の脇役では、あと三週間もすると封切りになるロバート・レッドフォード 主演の「ラスト・キャッスル」。悪い囚人の役だ。彼は小柄な黒人なのですぐにわかる。 ケビンはデンゼル・ワシントンやケビン・コスナーに目をかけてもらっている。家ビンは85年 頃、キリン・メッツのテレビコマーシャルに出演していた。

マークとデイブ・ブラウニング
今回はお母さんのグロリアはきていなかったが、彼らもやることがないので自転車の仕事 をやっている。四代目のブローニング(自動ライフル開発者)の直系末裔である。僕は彼ら の会社のマーケティング・コンサルタントをしていたことがあるが、今ではしつこく幹部入社 を誘われている。

ピーター・グリズリー
オボチ山の頑張り屋だ。グリズリーのヒイヒイお祖父さん、ブローニングにヒイヒイ お祖父さん、そしてモルモン教教祖のブリミグ・ヤングらは、いっしょにユタ州に やってきたモルモンの布教者たちであった。ブリミグヤングはユタ州で有名な BYU、ブリミグヤング大学としてモルモン総本山の大学である。しかし、ブローニング もグリズリー家も二代前からモルモンから脱教している。このピーターは、ナイスエスト ガイでハードワーカー。昔なじみのブローニング・ボーイズを助けるために、 本業(精密機械)をそっちのけにして、ブローニングの手伝いをしている。 僕はブローニング家とピーターを知って20年になるがブローニングはまだ 製品開発中で、商売になっていない。お母さんのグロリアと食事をした時の会話:

グロリア:
ショージ、ブローニングの自動変速システムは開発して25年になるのよ。 ショージ:
ふ〜ん、僕にヒイ孫ができて、彼の自転車にブローニングがついていたら 僕は、彼にこういうよ、、「オジイチャンはね、このブローニング家の人々と親しいんだよ」 そこでヒイ孫はこう応えるんだ、、「これはまだ試作品なんだよ」

ちょっとキツイが、彼らはこの25年試作品を繰り返してきた。一度、この商品のアイディア を買った日本メーカーが終わったが、そのメーカーに技術力がなくて失敗したことがある。

ウエイン・クロスデイル
彼はマウンテンバイクのダウンヒルのプロレーサーだった。久しぶりの出会いであった。 今では、映画やテレビ番組のスタントをやっている。マウンテンバイクのダウンヒルレースでは 60kmくらいのスピードで急坂を下り降りる。崖から落ちたり、大転落などはオテノモノ。 恐怖知らずのレースで、一番危険なことをやるので、彼にはインセインというニックネームが ついて、誰もがインセイン・ウエインと呼ぶようになった。インセインとは気違いという意味だ。

マーク・ゴースキー
84年オリンピックの金メダリスト。彼は、何度か僕の家に遊びに来たことがある。この時の 銀メダリストのネルソン・ベイルズが僕と親しかったので、ネルソンが連れてきたのだ。マークは 現在アメリカの自転車連盟(USCF)の仕事についている。

ギャリー・ターナー(Gary Turner)
彼の名がGTという高級マウンテンバイクメーカーの名になったが、元々は小さなBMXメーカー であった。彼と今は亡きリチャード・ロングが始めた会社がGTだった。僕がアメリカに初めて来た 時にすぐに親しくなった。当時はBMXで注目をあびるようになってきた駆け出しだった。BMX世代 の成人化にあわせてマウンテンバイクも開発し、上手くのってナスダックに上々したが、インベスター のマネージメントになってから会社がおかしくなってつい最近倒産した。Garyはインベスターに自分の持ち株を売却したので、ずっと好きなドラッグ・カー・レースに専念して全米選手権を獲得したりして いたが自転車が忘れられなくてまた新しい会社をおこした。

アレックス・スティーダ
言わずと知れた北米人初のツール・ド・フランスでのステージ優勝選手。 今ではカナダのド田舎に引きこもって家族と平和に暮らし、BMXレース に熱中する息子につきあって自分でもBMXの成人の部でレースに嵌り 込んでいる。これは北米人たちのエライところだ。父親が子供が熱中して いる趣味やスポーツに参加する。/font>

そんな経緯で興されたBMXメーカーが数多くある。父親が本業そっちのけで 子供を応援しながら会社を興してしまうのだから、子優先のかかわり方をする。 上述のブローニングなんて家族で一丸となって売れもしない製品の開発を続け ている。アメリカの自転車業界とはそういう場だ。誰一人としてタバコを吸う人間もいない。 それほど健康意識も高い。何しろ国内のビジネスゲストが来ると、接待と いうよりもビジネスが終わってからの付き合いがバイクライドなんだから お金を遣って接待をしたつもりになっている企業的接待とは異なる。 雑誌社の取材でも、メーカーからの売り込みでも、付き合い相手は誰もが サイクリスト。話が通じやすい。

僕は、アメリカの業界人とこんなツキアイを続けてきた。現在でも僕の日課の バイクライド仲間は世界の一流選手ばかりだが、アレックスがシアトル地域に 住んでいた時は彼もその一人だった。今回のショーでは縁あってある日本の 問屋さんのお手伝いをさせていただくことになり、リカンベントというメーカーと のコミュニケーションをとることになった。その確認ととりにそのメーカーに行くと、 彼らが僕に言った言葉は、来年のSTP(シアトルTOポートランド)320kmには 彼らの車でいっしょに走ろう!だった。これができるかできないかで関係の 親密さの深みが変わってくる。商売だけの関係とは、所詮商売だけでしかない。

おのざわショージ
100401

ご意見・ご感想



目次に戻る