ボスは迷文家シリーズ

息子をオカマにしない為に


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男子は母を乗越えて初めて子宮に向う。潜在心理の中で、男は子宮に対して劣等感を持っています。それは母の子宮から生まれたことによるもの。そして母を乗越えられずに育ちます。自我が確立してある程度の年齢になると、母の元を去ります。この時はじめて自立します。しかし、母は常に潜在意識の中に存在し、男子の象徴であるペニスは常に子宮に向うのです。その行為そのものが男子が持つ帰巣本能のあらわれなのです。ペニスが子宮行きつく為に硬直するように、射精によって放たれた精子も道順も知らずに子宮にたどり着くのです。人間が動物であり、子孫繁栄を本能を持つ限り、ペニスは子宮を目指します。

少年が母を脱皮する年齢になると、自慰の喜びを知ることになります。男子自覚の儀式といえます。子宮を知らない少年は、自分の手でペニスを弄ぶことによって、それを子宮にとって代わる愛情の仕向け先としています。女性器にいきつくことができない為の自己愛のはじまりです。自慰を繰り返せば繰り返すほど、女性器から遠のくことになり、自分の男性器そのものが性の対象となっていくことになります。それが行き過ぎた時、男色という嗜好がアタマをもたげます。セックスレスはマザコンの現れで、自分をかばってくれていた母を乗越えることができない男性に頻繁にみられることです。そこには母の巨大な存在がたちはだかっていて、精神的にオンナに到達することができないということなのです。

本物のゲイはセックスが目的ではなく、一般の男女が愛し合うのと同じレベルで同性の心を愛しています。セックスはその愛の結果でしかありません。セックスが先に出ている限り、それはセックスがエスカレートしたものでしかないのです。そこにゲイという代名詞が誤って使われているだけです。心愛を前提とすれば、ゲイは通常の我々と同様に心からパートナーを愛するという別の絡み合いをもっております。その点で、ただ単に男色を求めるオカマとの比較では、二つの間に共有する特質はありません。

エスカレートしたセックスを好む女装趣味のオカマの連中が、夕闇の公園のいたる場所で交じり合って、市民たちから苦情が出たことがありました。これはゲイへの偏見を高めるものでしかないと、市民生活を営むゲイ社会が、女装趣味者たちにそれをやめるように申し出て、反対パレードをはったことがありましたが、エスカレートしたセックスからしか快感を得ることができない彼らはまだ続けています。

こういった形の同性愛は一般的にもゲイと称されていますが、上にのべたように実のところオカマ以外のなにものでもないのです。母を乗越えることができなかった青年が、母の先の女性に到達することができなくなるのです。すると自慰に耽るだけか、男色に走るかの何れかの道をたどって、自分の性愛を満たすことになるのです。ですから、こうした背景から男色に走った青年たちは、バイセクシュアルといって両性との性愛が可能になります。先天性のゲイとは異なる点がここにあるのです。こうした男性は、母だけでなく、他姉妹の中で育ったり、彼を守る強い姉の下で育ったという、女を乗越えることができないという過去をもっています。

そうした家庭で強い男性像不在だと、少年の振る舞いや話し方、そして考え方までが女性的になることが必定です。自分の鏡となる父や兄がいなければ強い母や姉を鏡として育つから当然です。こんな過去を持った青年たちが、女装を好んだりすることがあるのですが、本人達が自分自身のことを先天性のゲイだと勘違いをします。

一般的にゲイの男性は心優しいといいます。それは女性的だから優しいというのではなく、強いペニス愛=自己愛の結果神経が細やかになるからです。ペニスが女=母を目指すことから、その対象への愛が強いということは、女性=優しさを求めていることに他ならず、その気持ちが表にでるものなのです。

母や姉による保護や抑圧が強くとも、先天性の性格に強いモノがあれば、抑えつけられずに乗越えるのですが、弱い性格だと、女性に到達できなかったり、男色に性の道を求めたりすることがあるのです。ママゴンやアネゴンもほどほどにした方が良いでしょう。

おのざわショージ
100801

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