ボスは迷文家シリーズ

オルカのさけび


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昨夜、Como4で一時間のドキュメンタリーを観た。The Cry of Orcasというものだ。シアトルの海ピュージェットサウンドに生息するオルカの数が減っているという問題を提起する番組であった。毎年若いオルカ数等が死んでいっていると報告していた。


オルカとはクジラの仲間でシャチのことをいう。魚の群れをSchoolというが、魚形の哺乳類はSchoolではなく Pod という。A pod of whales, a pod of orcas, a pod of dolphinsという表現で、間違っても A school of whalesとはいわない。

                         若者オルカ                                  オルカ研究船

ここピュージェットサウンドの内海にはJ Pod, K Pod, そしてL pod の三家族のオルカが棲んでいる。 私は、6年程前に大家族のLPodと出くわした。55頭ほどの群れであった。これらのオルカが四頭くらいのパックに別れて鮭を追っている。僕が乗った船の周りはオルカでいっぱいだった。パックのひとつは私が乗ったボートに向って泳いできて、船スレスレのところで潜り、そして反対側にでた。その時に、僕の目がオルカの目とあった。それはまるで神との出合った時に受ける感動のようであった。この経験を書いたストーリは、その翌年にJCBカード会社のGOLDという会員誌で記事として掲載された。その原文を下に貼付する。

オルカを題材にしたストーリーを書くライタ-が昨夜の番組で、僕と似たようなことを言っていた。「オルカと目があった時、人はまるでsuperior intelligenceと出遭ったような感動を受ける」。偉大な存在との出会い、それは即ち、神との出会いということだ。彼の表現は僕が受けた感動に同意を与えてくれたものであった。今、そんなオルカが原因不明(公害ということは分かっている)の病気で死んでいっている。それも若いオルカが死んでいるというのだ。僕としてみれば他人事では済まされないものである。

オルカ家族は、赤ちゃんが生まれると兄弟姉妹が面倒を見る。若いオルカは人間の子供と同じようにはしゃぎ周ることが好きだ。体の具合が悪い家族には他のオルカが餌をとってきて口うつしで餌を与える。こんなシーンが目撃されている。シアトルの海のオルカは人間を恐れないし襲うこともしない。共存がかなっている。オルカと接近したことがある僕だけに、オルカが死んでいくというニュースをきくと心が焦燥感に襲われる。

おのざわショージ
082901

「むかしむかし、白と黒の色をした大きなおさかながいました、、、」。
オルカス・アイランド・イクリップス・ツァーの船上で、デニースから渡された絵本はこの様に書き出されていた。「オルカス島がオルカス島と呼ばれるようになったわけ理由」と題されたこの本は、オルカの棲む海に浮かぶ小さな島で、夫のダンと共にオルカ・ツアーの会社を営む娘デニースのために、彼女のお母さんが創作してくれた素敵な絵本だ。 「シアトルにオルカはおるかなぁ」
友人の小平カメラマンが、誰にも受けそうもない駄洒落でオルカ・ツアーに行こうと僕を誘ったのは、確か一月の寒い日のことだった。オルカ、いわゆるシャチが海で泳ぐ姿を、実際にこの目で見てみたいと思っていた僕が、この誘いを断るはずがなかった。 どこでならオルカと出会えるのだろう。僕はそのヒントを「フリー・ウイーリーII」という一本のビデオに求めた。オルカと少年の心あたたまる冒険映画。ロケに使われたのはシアトル北西部約百二十キロの海上に浮かぶサン・ホアン諸島。そして、その映画に沿岸警備隊の役で出演した夫婦がツァー会社を経営していると知った。それがデニースとダンだった。

オルカ・ツァーの前日午後、僕たちはシアトルのパイク・マーケットにいた。新鮮な魚や野菜果物、そしてクラフト製品の色鮮やかな、活気のある市場だ。市場で茹で立ての蟹を食べようと、どちらからともなく言い出したのだ。唐辛子のピリリと効いたカクテルソースにボリュームのある蟹のみ肉をディップして、ペロリと食べる。斜向かいの魚屋からは、"テンパウンド・サーモン"と大きな声が聞こえてくる。店頭のサーモンを、はか計量ってから奥にいる店員に投げつける時の掛け声だ。受け手はそれを、両腕の包み紙にナイスキャッチ。マーケットは、いつでもこんな活気で賑わっている。 市場の北側のはずれに小さな公園がある。エリオット湾を眺めるには最高の場所だ。西の空にはオリンピック山脈が黒いシルエットを描き、パラ・セイリングの帆が夕日に浮かぶ。南の空はラベンダー色。キング・ドームが、レーニア山を背景にしてうす紫色に輝いている。 シアトルは訪れる人を飽きさせない。訪れるのだったら夏。レーニア山国立公園でのトレッキングもいい。氷河見物ができるレーニア山では、鹿をはじめとする野生動物に会えるチャンスがいっぱいだし、ヤキマ川をはじめ、いたるところで川下りやカヌーが楽しめる。だけど観光客の数がぐっと減る冬のシアトルだってけっして悪くはない。何と行ってもスキーが手軽にできることが最高だ。交通の便が良いスノクォルミー・パスまでは、一時間ばかりのアクセスで行くことが出来るので、一日の観光のあとでのナイト・スキーだってやろうと思えばできる。そういった意味で、シアトルは一年を通してのアウトドアー・スポーツのメッカといえる。しかし、そんな遠出をしなくても、ウォーター・フロントから出ているベインブリッジ行きのフェリーに乗って、海上からエメラルド・シティーを体感することだって楽しい。シアトルとはそんな街だ。

オルカ・ツァー当日の朝。空はグレー。そんな空がカメラマン氏は気になるらしい。そこで僕はデニースの言葉を彼に伝えた。 「オルカス島のあるサン・ホアン諸島は、ピュージェット・サウンドを太平洋につなぐホアン・デ・フカ海峡の内陸側に位置していて、お隣のカナダと海域を分けているところ。地元の人たちからはバナナ・ベルトと呼ばれているの。シアトルが雨でもサンホアン諸島付近は晴れの日が多いことが多いのよ」 インターステ−ツフリーウエーI−5を北に向けて三十分、僕らの車はエベレット市に入った。この街にはボーイング社最大の工場があり、ジャンボ機747や新型の767や777を生産している。敷地は州所有のペイン・フィールド飛行場に隣接し、世界最大の容量(472,000,000立方フィート)を誇る工場が立つ。ここでは、約二十二機の大型機が同時進行で組み立てられているというから凄い。一枚のドアの大きさがフットボールのフィールド一面と同サイズというのでは、ちょっと想像がつかないほどの大きさだ。 フリーウェイIー5は大陸縦断道である。カナダとメキシコの国境と南北で接している。僕らの車はをシアトルからマウント・バーノンに向かい北に走る。エベレットを過ぎると、右手にカスケード山脈、その向こうにベーカー山が見えてきた。夏はトレッキング、キャンピング、マウンテンバイキング、そして冬はスキーと、一年を通してのデスティネーションだ。北緯四十七度のこの街は、樺太とほぼ同緯度なのだが、海洋性の気候のおかげで冬でも温暖。平地では雪でなく雨が多く、すぐ近くの山では雪が降る。 片側四車線のフリーウェーを時速七十マイル(百十二キロ)のスピードで走る僕らは、針葉樹の林の間を抜けて、やがてマウント・バーノンという小さな街に着いた。ここからハイウエー五三六号を西に進路をとり、ウエスト・バウンドの二十号と合流。オルカス島行きのフェリーの出るアナコルテスはすぐそこだ。 ハイウエーの途中にカジノの看板があった。ワシントン州政府は、カジノ賭博場の操業を保留区内でのみ、インディアンだけに認めている。彼等の土地を奪った為の特恵措置である。この国土は昔はインディアンの土地だったのだが、現在の彼等には、保留区が与えられただけ。そんな保留区を州道二十号は走っている。

アナコルテスを出発したフェリーは、サンホワン諸島の島影を縫ってツアー・ボートの待つオルカス島へと向かう。デニースの言った通り、空は青く澄みわたっていた。カモメが船に沿って飛び交い、航跡は白濁の線を美しく描いている。耳元を、北緯四十七度の海風がすり抜けるのがわかる。 「良い知らせがあるわ!」
自己紹介を済ませたデニースは待ちきれずに言った。Lポッドというファミリーが、餌の鮭を追っていることが確認されたというのだ。船長のダンは、一時間もすれば彼等に追いつくという。四十五フィート程のイクリプス・チャーター号は十五人余りの客を乗せ、スピードを上げて目的地へ向かった。 ポッドとは家族という意味で、オルカの群れを指す。ここの海にはL、K、Jの三ポッドが棲息。Lポッドは五十五頭のオルカによって構成され、最長老は今年八十の齢を数えるおばあちゃん。ベイビー・オルカもいるようだ。オルカは夫婦生活は営まないから、赤ちゃんオルカは父親なしで、おばあちゃんやお母さん、そして兄弟たちによって育てられる。 気になっていたオルカス島の名の由来を尋ねた。オルカとは関係がなく、スペインの探検家の名によるのだという。一方、オルカは"死"を意味するラテン語。そこから英語ではキラー・ホエールとなったわけだ。 「カヤックを襲ったりはしないの?」

入り江の見張り番 白頭鷲

尋ねる僕にデニースは、オルカには内海に定住するレジデント、獲物を求めて旅をするトランジェント、沿岸を旅するオフ・ショアーの三種類があって、ここのオルカはレジデントで鮭を主食とし、他の哺乳類を襲ったりはしないという。 突然船首から歓声があがった。見ると一頭のオルカが半身を水面に立ちあげているではないか。僕たちの船を偵察したのだ。この間わずか数秒、船上の人々は瞳を輝かせて周辺の水面を見廻した。僕はすでに四頭の群れを百メートル左後方に見つけていた。まるで船に伴走するかのようだ。人々が息を殺して彼等の動きを追っているのがわかる。一瞬たりとも逃さずに瞼に焼きつけておこうと。 北の方角からカナダの国旗をつけた大型客船がやって来た。船長のダンは客船を避けて右へ旋回し、そこでエンジンを止めた。すると、つい先程まで後方を泳いでいたオルカの群れが我々の船を目がけて泳いでくるではないか。その姿はみるみるうちに大きく迫ってくる。濡れた黒白のコントラストが青空に輝いて美しい。視線が合うほどまでに船との距離が近づいてきた、と思ったその瞬間、彼等の大きな身体は左舷下を滑り抜けて……。気がついた時には、水面に黒光りした後ろ姿が、船からどんどんと離れて行くのだった。この出会いの瞬間に合わせたオルカの目は優く、それはまるで神との出会いでもあるかの様であった。 半日の行程を終えたイクリップス・チャーター号はオルカス島へ帰着。入り江に浮かぶ大きな岩にそびえ立つ杉の木の枝の上で白頭鷲が僕たちの帰りを迎えてくれた。まるで島の守り神でもあるかのように、その姿は威厳に満ちていた。北の海で、普段味わうことのできない神聖な時を過ごした僕らは言葉もなく、艀に近づく船の上から、静かな入り江を眺めるのだけであった。

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