ボスは迷文家シリーズ

論理の焦点を飛躍させない話し合いの例
クジラ問題とアメリカ人の正義


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クジラが一般のアメリカ人のダイエットに入っていなかったということも アメリカ人が捕鯨禁止に力をいれている大きな理由のひとつです。仮に クジラが常食になっていたとしたら、彼等のことですから、海洋大牧場 をつくってクジラを養殖してしまったかもしれません。基本的にアメリカ人 の正義は、彼等のスタンダードのうちにあります。結果、正義の押し売り をいとも簡単にやってのけてしまうのです。

どこの社会も実質的な生活向上を目指していて、そのゴールにアメリカン ライフスタイルがおかれていることも確かなので、彼等がアメリカの生活 基準に従って、低開発国の生活基準を下に見て援助の対象とするので すが、これも微妙ですね。

シアトルには鮭が上がってきます。シーズンにもなるとその鮭を狙って カリフォルニア・アザラシがシアトル中で鮭をタラフク食います。日本ですと それがイルカですね。日本の漁師がそんなイルカを大量殺戮したことが あって、それが国際問題に発展したことがあります。76年頃の事件です。 シアトルでは、カリフォルニア・アザラシを捕獲して、カリフォルニアの海に 戻しています。でも、すぐにシアトルまで戻ってくるのです。いたちごっこです。

1 日本人は鯨の部位を徹底利用したのに、米国はどうだ。

Onozawa:  以前僕は、自然保護団体であるシエラクラブの会員と話し合ったことがあります。 彼等は、日本人による使い捨ての割り箸はケシカランというのです。そこで小野 沢は、貴方は日本人が大木を割り箸に使っているとでも思っているのですか? と問いました。相手はしばらく考えて、そんなことあるわけがないと覚ったですね。 割り箸のために高価な一本木が使われるわけはないのです。これはちょっと頭を ひねれば分かることです。それよりも、アメリカ企業による森林伐採の方が責め られべきではないか。割り箸なんて大木のスクラップから作ることができて、無駄 になっていないわけです。それではアメリカの使い捨てスプーンとフォークはどう なんだろうか。このように話をもっていくと良いのです。一般的に、彼等は現象だけ をみて短絡的に感情判断をしやすいです。まあ、これはどこの国民性にもあること ですが。

アメリカ人のほとんどが、真珠湾攻撃にいたるまでの歴史を知りません。まあ、教え られていないのです。ですから真珠湾の奇襲はけしからんとなります。現象に反応 しているだけです。

2 開国を江戸幕府に迫ったのは、米国捕鯨船への薪水の提供が目的の一つだったじゃないか。

小野沢: このアーギュメントを、現実の捕鯨にどう結びつけるのでしょうか。要は、歴史は 変遷するわけで、過去の行為の正・不正義が必ずしも現代の正・不正義を正当化 にはならないわけですね。過去の正義は今思えば過ちだったということは幾らでも 歴史に残されているわけです。そんなことばかりなのが歴史です。

去の侵略を謝罪しきれないことと同じです。しかし、現代は常に近過去に犯した 過ちで責めつづけられるのですが、ほどんどが感情によるものばかりで、理性的な話 し合いを混乱させるだけです。しかし、社会が感情を持ち合わせている人間の為のも のであるばかりに、慰安婦問題にしても最後の一人が生き続ける限り、感情的に取り 上げ続けられて、それを理性で結論づけることができないわけです。

しかし過去の事実を使って、現代の正当性をサポートしきれるものかどうか。その好い 例が、白欧の列強主義でしょう。過去そうであっても、過ちは過ちとして現代では改め られているわけです。これは裁判に おける前例とは異なると思うのです。論理的にも、

過去はそうだった。
でも現代は異なる。
  よって過去と現代は異なる。
となるわけです。

過去はそうだった。
なのに現代は異なる
よってそれはオカシイ
という論理を貴方は如何に通すのでしょうか。

何故なら、人も社会も国家も悪きを改めて更新していくからです。

3 米国人はそもそも、鯨を祀ったのか。

小野沢: 祀ったという行為は、クジラに対して敬意があるからで、そこには日本人だけに通用する スタンダードがあるのですね。祀ることは、感情的な次元の行為であって、感情を共有し ない別文化にまで通用する普遍性があるようには思えません。ですから、祀る人たちに 正当性があって、祀らない人たちはケシカランという論理を通すことは難しいのではない でしょうか。それが可能ならば、僕は知りたいです。

僕はアメリカ人と三十年間もの間つきあっておりますが、彼等の考え方はとてもRational です。そのRationalさは、自分の家族や友人の墓石さえも足踏みさせるくらいです。それ で彼等は決して亡くなった者たちに対して敬意を逸しているとは思っていないのです。 日本人には考えられないことですが、感情の価値観は社会文化が異なればそれなりに 異なると思います。ですから祀りの是非は唯物論と唯心論の間での差異と同じで、お互い に交差しないでしょうね。現実は、国際間の取引や条約などには客観性だけが求められる わけですから、やはり感情は行き場を失うだけです。

4 バッファローを、ただfunのためだけに射殺する列車をしたて、殺しまくったじゃないか。 旅行バトもしかり…。

小野沢: これも過去のことですね。現代では聞きません。アメリカでは先住民の土地を奪い 殺戮もしています。そんな人たちに他国による殺戮行為を反対する資格はないと いうことなのでしょうか。そういうことではありませんよね。過去やっていたことだから 現代も継承してよいこともありません。やはり、現代そして今だけが全ての基準となる のではありませんか?

常食が変化していくことは歴史の常識です。国交が始まれば、文化まdもの影響を 受けるわけです。日本人はラーメンを常食としてしまったことを思えば、牛肉にしても、 バナナにしても、日本古来からなかったダイエットが日本に定着しているわけです。 そう考えれば淘汰されていく食事だってあるわけです。僕が中学生の頃のニュースでは クジラが絶滅の危機に接していて、捕鯨船の収穫が悪くなり、廃業も増えておりました。 当然、クジラの肉が食卓でみられることも少なくなったのです。僕が小学生の頃は肉と いえばクジラで、牛肉なんて高価で食べることができなかったのです。この時代を生きた 人なら知っていることです。クジラ肉が淘汰の方向にあったということを、そんな時に 食卓にあがった豚肉や牛肉をクジラに代わるものとして歓迎したのです。

5 鯨だけの保護は、生態系を狂わせる…。

小野沢: クジラだけの保護というのではなく、Extinctしないまでに戻すということを目的として いると理解しておりました。 ですから、ミンククジラでしたか? 数が増えたクジラに 関しては制限つきで捕獲が許されている筈です。当然、クジラの増加防止も計算に 入っていることと理解しておりました。反対派も賛成派も感情レベルで両極端で話し 合いをしているように思えてなりません。

おのざわショージ
2001年1月7日 3:38

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