ボスは迷文家シリーズ |
論理の飛躍とすり替え
僕は今まで討論相手を選んできた。96年に僕が日本の景気はどん底に向かう、と言ったことがあった。その時、その発言に対して怒りの反論を受けた。 数人がそれを見せた。何を馬鹿なこと言っているんだ!という怒気を強めた反発だった。これは端的な例なのだが、アメリカ人はこういう場合、その論拠を問いただす。そしてそれが理に叶うものならば 納得し、そうでなければ僕の意見を論破する。しかし、けっして反論に感情が込められることはない。個人攻撃もなければ、こちらの感情を挑発しようとすることもない。僕は、冷静で客観的に討論をし続け てきたのだが、こと日本人が相手となると、下に示す例の結果に終わることが多い。とても疲れることなので、相手をみて先ず論破をする。僕の論破に対して論破で返す人だけを相手にするが、僕の論破に対し て感情で返す人とはそこで終わる。そうしないと、精神エネルギーが疲れるだけだからだ。
「韓国で日本人女性をターゲットにしたレイプ事件が多発しているが、過去日本が犯した慰安婦問題と 比較したら取るに足らない事件である」
これはスリカエです。レイプはレイプ、慰安婦は慰安婦、それぞれ別の課題です。ふたつをゴッチャに した時、問題点を見失うことになります。
「テロの報復もテロである」アルケイダへのアメリカからの攻撃に関しての主張 「テロ」という言葉の定義を自分なりに解釈した暴論です。更には「報復」という言葉は日本のメデ アがヒステリックになって使っているものでしかないが、それは英語をきちんと理解していない取材者 たちが、感情的になってレポートした通信によるものでしかない。その点、アメリカのメディアは冷静 である。米国国民が怒りのデモだとかシュプレヒコールをやっている映像がないことからも、当地に報 復という感情がないことを理解することができる。アメリカ人はきわめて冷静である。しかし、ここに は勝手に報復という状況をでっち上げた飛躍がみられる。要は表面的な新聞テレビの現象に敏感に感情 対応しているにすぎない。感情的であるからこそ論理を離れ、テロへの「反撃」を「報復」とスリカエ た上、「、、もテロ」と論理を飛躍させている。。
「テロを報復で決着つけるのは愚かな事であって」 勝手に飛躍させた論理を元にした主張は、当事者と理解しあえるの同言語とならないので、説得性に欠 kleる。ここの課題から離れるが、与えられた平和しか知らない人間が実際に被害を受けた国民に向かっ て言う言葉でもない。従って、アメリカに向ってこれを言っても的を外れているのだ。
「テロリストは犯罪者である。犯罪者に対し「軍事行動」は間違いである 犯罪者にはしかるべき処罰」 主張者は、ここでも論理が飛躍していることに気がついていない。 「テロリストは犯罪者」というのは 彼が勝手に作り上げた論理でしかない。論理の飛躍だ。従って、客観性が求められる場では説得力を持た ない。アメリカはこれを「戦争である」と定義しているのだ。論理を飛躍させるまえに、アメリカの定義 づけを覆すことが必要 。
「犯罪者はしかるべき措置を講じるのが原則である 」 主張は「テロリストを犯罪者」と定義の飛躍断定がみられるだけ。「しかるべき処置」という具体性 に欠ける結論につなげているが、意味するところは「処罰をあたえる」ということであろう。
「イスラム社会は神聖で立ち入る余地はない 」 「立ち入る余地がない」と、主張者が個人的に断定する根拠はどこにもない。論理の飛躍の典型的な例 である。
「その事に気ずかない我が国の首相は愚か」で行動を起こさない人たちに共通する無責任な発言である。そういった首相を許しているのが、主張者を 含めた日本の国民なのだ。
「日本は、アメリカに原子爆弾を二個も落とされている。あれは戦争だが、じゃあ何をやってもいいの か、あれは「非人道的行為」であって ほかの何物でもない 」 以上の非論理性を指摘すると、感情の部分がさらに論理をおしやって、その非論理性は高まる。「原子 爆弾を落とした国は何をやってもいいのか」とのような反論が出るが、これは別件の混同である。
「あんたはもう日本人じゃあないね、そりゃあテロは良くない 当たり前だよ、馬鹿言っちゃあいけな いよ、そのくらいのことが分からずに このような意見を述べていると思っているのかい・・ ふざけな いでくれるか.あくまでも 討論ですからこれは 喧嘩じゃあないんですよ お分かりかな 各々立場な どがあり意見もあるから 意見は意見として受け止め 」これは実際に僕が受けた感情論だが、非論理的発言者は更に論理を失い、感情的になって個人攻撃の下 準備に入り喧嘩腰になる
「一度発言したからには男らしく(誇りと正義がある) お返事したらいかがですか 」 非論理的な意見と争っても意味がないことなので、これ以上の返事は書かないという手紙への返事「男 らしく」とかの言葉の裏には、無視に対しての怒りが込められているのだが、まるで喧嘩である。
「もっと大人の話し合いになるかと期待していたが 、、あんたは 全くの知識あるヤンキーだよ」 彼は、このような捨て台詞を返してきた。大人の話し合いといいつつ、彼自身が感情的に個人攻撃をして いることに気がついていない。おおかた、非論理的な相手との話し合いは、この主張者のみならず、こん な形になる。僕は今までにも傍観者として、討論が口論に変化していく姿を目撃してきた。そこに生み出 さるものは何もない。嫌な思いが残るだけである。一般的に、日本人には理性と感情を切り離して思考することができないと言われている。僕の知り合い には少ないのだが、上のような問題児にぶつかることは度々ある。客観性が求められる話題に感情を込め るので、彼等の主張に論理が組み立てられことはない。論拠のスリカエと感情をため込んだ主張から生み 出される結論は飛躍にみちたもの。この類の主張を論破することはた易いのだが、相手は元々論理をもた ない人たちなので、非論理的な個所を指摘をすると、更に彼等のイロジカルな感情論は高まり、「性格」 や「男らしさ」などと言った無縁な材料を論拠として主張と挑発を続ける。同時にそれが個人攻撃に矛先 が変わる。論理の飛躍そしてスリカエは、ビジネスの場や日常生活で多々みられるもの。
日本では感情論が好まれる。そして誰もがすぐにヒステリカルになってパニックをおこす。多くの人たち が、盲目的に今回のテロ攻撃事件を感情論で語っていることが、僕にはある意味で恐ろしい。現に、炭素 菌テロに関しては、日本のメディアが大袈裟に伝えているだけかもしれないが、日本でのリアクションの 方がナマスをふき過ぎている感が強い。上の交信はは実際にあったものだ。荒い論理の人が論点を外れて 感情的になって個人攻撃に発展してきた。極めて日本的である。反論を感情的に受け取る人たちばかりが いる。すべてが彼の共感者という思い込みがあるから、反論が出た時に性格がでる。自分の思いが通って いる間はナイスだとは思うのだが、いざ自分のエゴが認められないと怒り出す。今までに皆からチヤホヤ まつりあげられていたお山の大将て祭り上げられて満足している人間に多くみられることである。こうい う人たちと口論しても始まらない、と知っている友人や知人が煽て続けるので厄介だ。サルも煽てりゃ木 に登るという。下々は木の下でニコニコ顔。木の上のサルもそれに満足顔。しかし、ニコニコしているの は、赤い尻を観て笑っているだけなのだ。
客観性少なく感情論によって扇動されやすい人たちの共感を呼ぶ主張は、聞き手が観念論者であればある ほど、支持者を増やすもの。アメリカテロ攻撃に関して例えるならば、彼等の感情が膨れ上がった時、盲 目的に反アメリカをさけぶイスラム教信者と同じように愚民と化す。イスラム教とイスラム原理主義は異 なるのだが、本日、ある女性から無知は罪という手紙を頂いたが、無知な愚民たちは、言葉の定義が曖昧 な為に、曖昧な主張をする感情論に乗りやすいわけだ。ナチスドイツ下のドイツ人しかり、オウムに洗脳 された信者しかり、アメリカのレッド・パージでの反共しかり。いつの世の中にもそういった大衆が粗削 りの感情論に共感する。そこには非論理的な感情論が支配する土壌があるからだ。感情論者たちは、もと もと科学的な思考方法ができないから論理を受け付けないのだ。論理力を持たない扇動が次に移るものは 更なる感情的扇動と攻撃。アメリカの国旗を燃やしたりする感情行動は対国家のものであるが、個人レベ ルだとそれが性格攻撃になる。
おのざわショージ拝
102401
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