ボスは迷文家シリーズ

真理と矛盾の哲学的考察


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私は、観念論を否定しないまでも、真理追究と現実との取り組みを分けて考える 実践的な人間です。形而上学を批判する立場をとり、プラグマティズムに回答を 求めます。愛、平和、誠実、これらを語った時、愛とはこうだ、平和とはこうだ、誠 実とはこうだ、、自由とはこうだ、これらのテーマをどんなに語りつくそうが、究極 的な回答を探し出すことはできないと信じています。プラグマティズムは真理を軸 にして現実と対処します。よって、現実に則した結果がでます。反面、観念論の末 にある真理は究極的には現実の行為を否定するものでしかないと思っております。

精神は実在し現実の行為という結果とつながっています。精神は実存、即、我々は 現実の生活を持っているということなのです。にも拘わらず、宇宙の彼方にある回答 を求めるような観念論の繰り返しを我々人類は続けてきました。観念の世界に向え ば向うほど、今ある生は無意味なものになります。三島由紀夫は美の真理を観念の 世界に限りなく追求しすぎた為に死を選んでいます。真理の行く末には死しかないの です。反真理的な現実(真理との矛盾)に「対応しなければならない」生活を繰り返し、 現実を知る精神が観念の世界に埋没してしまうと、愛、平和、自由、生などを追求した 時、そこにでてくる答えは死を「選ぶ」ことでしかなくなってしまうのです。愛と美を追求す るがあまり、今までに多くの作家や芸術家たちが死を選んできました。私等の年代まで には、多くの純粋な女子学生たちまでが同様な理由で自殺をしています。

我々は科学の世界に生きています。科学が我々の生活をディクテイトし過ぎるくらいに あり、そこに郷愁を求めるがことくに形而上学的な真理追究がなされます。これはまさに 精神バランスを保とうとする我々のアガキかもしれません。メタフィジックス批判の上に なりたったプラグマティズムのアメリカでも、日曜日には教会に行って精神の再調整をし ています。この事実をみる限り、人間の現実生活に必要なことが、プラグマティックな現 実直視の生き方をしながら、ある部分まで、言葉を換えれば、合理性が許される範囲内 で真理を追求します。それによって、我々は精神バランスを保つことができているでしょう。

アメリカ人のこんな生き方を偽善的と批判してきた過去があり現在もあるのですが、基本 的には、お腹をすかして死に直面している子はパンを盗んでも良い、あとで罪を悔いるこ との方が大切だ、盗みを真理の下に否定してはいけないという答えが出るのです。しかし、 宇宙に真理が存在する限り、愛がパンを盗むことを許して、腹をすかした子の生を認め、 生そのものもパンを盗む事を認めるのです。そして宗教が全ての罪を許すことになります。 懺悔をすることによってその子の精神は救われるのです。この事実を見ると、愛、生、自 由など様々な真理のテーマがあっても、全てはひとつの核から派生したものでしかないこ とが理解できます。常に正当性を保つ真理は、現実生活に矛盾するものです。それを調 整する上で宗教はとても便利なものとして上手く利用されてきたことになります。ですから アメリカには哲学的な自殺は少ないが日本には多いと思っています。アメリカでは宗教が 悩める者たちを救っていますが、日本には反真理を許す(これは妥協でもあります)宗教 が存在しないからです。仏教では死がその人を煩悩から解き放つ、即、俗世の矛盾など からくる苦しみから解脱させてくれると信じられていますが、それは葬式仏教の範囲内だ けのことで、我々が日常的に心に焼き付けている信仰からくるものとは異なるものでしょう。

以上のように、真理と現実の矛盾を何らかの形で調整しないと人間は生きていくことがで きなくなり、純粋理性の立場をとる人たちの真理追究の先には死があるのみということが わかります。ここに観念論の限界があるのです。こうした背景をそれを認めた上での 観念論ならば有効なのですが、こうした哲学的考えが存在しない場で行われる観念 論は、対象相手がいない場所で真理という亡霊に向ってする自慰行為とかわることが ありません。更には、現実と結びつけずに、要するに真理の現実生活での限界を認めず に観念論を嵩じさせた時、真理論は人間の生を超えた宇宙論と化するでしょう。そこに 出される回答は、死あるいは解脱した乞食生活でしかないのです。このような見解をとる 私は、愛、自由、平和、誠実、国家、戦争などの真理に関する論議に疲れをみせておりま す。愛とは何か?自由とは何か?私にしてみれば答えはでません。現実生活では、真理 に則するものを軸として、妥協(例えば、死ぬ間際ならばパンを盗んでもよいとする立場) していかないと、真理が生に対立してしまうからです。平和論者、真実論者たちが展開さ ている観念論の限界がここにあります。

おのざわショージ
08/03/01

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