ボスは迷文家シリーズ


Vol.12:  十年に一度訪れてくる夏の恐怖



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その日は何の変哲もないシアトルの夏の日であった。変わったことと言えば、事務所の裏に大きくそびえたつレイニア山の上に笠雲がかかっていたという事であろうか。一日に二組も三組も来る遠来の訪問客の対応に疲れ果てていた僕はその日、事務所の裏を流れるグリーンリバーの向こうにそびえ立つレイニア山を見ていて、山頂の笠雲が気になっていた。何か不吉のことがおこるのでは、と胸騒ぎすらした。猫のトリニも鼻をクスンクスンやっていたかと思うと、急に怯えて、何かから追われているかの様に、事務所中を走り回っていたくらいだ。

この不吉な予感とトリニの怯えぶりは、その日に僕を襲う不幸な出来事を予告するものであったのに違いなかった。やはり犬のバンディットをはじめとして、猫のアーリーやトリニとの付き合いの深い僕には、動物の彼らが持つ特有の予知能力を併せ持っていたのかもしれない。これを読んでいる人たちは、たかがペットじゃあないか、と笑うかもしれないが、ペットといって馬鹿にしてはいけない。僕が飼っている犬と猫は、そんじょそこらのペットとは異なる。犬のバンデイットは、元はといえばドッグレース出身の成人犬。引退したレース犬を待つのは死ばかり。まるで唄を忘れたカナリアであるかの様だ。アーリーは、捕獲されて保健所で動物園の餌に変身する日を待っていた時に、僕に救われたもの。二匹とも命拾いをしたたラッキーペットだ。つい最近メンバーに加わったトリニなどにしても一月前までは野良猫で凌いでいた。みんな修羅場をくぐってきた筋金入り。最初からペットとして育てられた腑抜けペットとは根性が違う。命の有難さを知り、恩人を敬う賢い動物だ。教えなくとも雲固やお湿黄は人様の迷惑にならないようにするし、お腹がすいたってお互いを食べようともしない。最近のバンディットにいたっては、雲固をする時には、お尻を深い草むらにいれて、恥かしそうな顔をしながらやるようになった。ご主人様に対しての気遣いもきちんとした、しっかりとした自覚を持った犬なのだ。犬がそこまで出来るのに、犬にも及ばないひとりの人間がいる。この夏におきた不幸な出来事とは、そのひとりの男の為に、僕の一日がだいなしにされてしまったということなのだ。この出来事は、夏の日におきた恐怖といっても言い過ぎではないだろう。

サンフランシスコに住むオブノキシャスなデイブから電話があったのは、ちょうど小学館の取材陣(ビーパルとラピタ)の四人が我が家をベースにシアトルで取材をシトル日であった。"ショージ、二時間でいいから時間をくれないか、日時は何時でもいい" 僕は、以前からこの男が疫病神であるということを知っていた。魔がさしたというのはこういうことなのだろうか。 会うのは嫌だったのだが、無碍に断ることも出来ないし、その理由も見つからない。まあ二時間くらいだったら、、、。約束の日を八月の十三日に決めた。その前日には作家・ルポライターという男が僕の時間を無駄にする予定であった。この男は新潮社文学編集部から、僕の友人である元フォーカスの写真ディレクターを通じてアポをとってきていた。今年の春ころから、僕はこの男による生意気な話し方の電話攻勢で悩まされていた。彼と電話で話している限り、見え見えハッタリもすごかった。だから、作家なんていうのも、wanna beの気持ちから錯覚していたのではないか、と僕はタカをくくっていた。 だから新潮社の仕事を云々しても、余り信用して聞いてはいなかったのだ。 勿論、このハッタリ君は僕が彼を相手にしていないことを感づいていた。 だから、新潮社を通してアポをとってきたのだ。 このハッタリ君と十二日の時間を無駄にして、翌日デイブと、、、。そう、悪いことは一回で済ましてしまおう。こういう効率の高いやり方をした時には僕はウキウキと嬉しくなる。だから僕はディブに対して13日でOKと返事をしてしまった。いま思えば、僕を襲う不幸はこの時から、スピードを上げ始めていたのであった。勿論のこと、その時の僕にそれを知る術はなかった。

小学館の連中と二日続けで夜遅くまですごした翌日の7日から11日までの間を、遥かカナダの山中をマウンテンバイクで走りまわった挙句、シアトルに戻った夜は、ブルーズバーで12日の朝まで、友人のジェフ(マウンテンバイクのパイオニア)とライブを聴き乍ら過ごした。疲れがたまり睡眠不足でもあったが、僕はそれでもその日の朝には早めに事務所に出社。一週間も事務所を留守にした後の常、当然の様に僕の机の上には書類の山となっており、本当は訪問客を相手に出来るどころではなかった。だから、午後一番の約束のMr.ハッタリ君が夕方まで現れなかったことに対して、僕は逆に喜びこそすれ怒ることはしなかった。彼と会う時間は少なければ少ないほど良い。それよりも、翌日のデイブの方が嫌であった。この日はこのハッタリ君と夜中の12時頃まで、一緒であったのだが、やはりハッタリ、とんちんかん、そしてトンカチンの話が多く、僕は興ざめをしてしまい頭にカチンときていた。 時間が無駄に思えてならなかった。だから翌日にもう一度訪問したいと言われた時には、踏んだり蹴ったり。この時の気持ちは、ロードキルになった道路脇の腐敗物、そう元いき物のアライ熊の様であった。

"今、空港に着いた"とデイブから電話を受けたのは、ミッドモーニングは午前10時前。"レンタカーした?"僕は聞いた。"空港から近い(10分)のだったら、迎えに来てくれないか?" その時の僕の心に、イヤな予感が閃光の様に走ったことが今でも印象に残っている。

出来る限り、誰にでもレンタカーをする様にしてもらっている。空港からは本当に10分の距離なのだが、レンタカーをしてもらわないと、あちこちと振り回されてしまうし、そんなお人好しばかりをやっていたら、多忙な僕のスケジュールが台無しになってしまうからだ。来訪客にしてみれば、多くとも年に一回こっきりの一大イベントなのだが、受け入れる側の僕にとっては、その一回こっきりが人を変えて毎日続く。人付き合いの良い僕にはその訪問客の数も多い。大変なことだ。だから出来る範囲内でしか面倒を見ないことにしている。だけど、後になってちゃんと面倒をみてくれなかったと、文句を言われることも多い。但しそれを言うのは日本人だけだから面白い。こんなことがあった。三日前になって急にアポととってきた会計士に、他に予定が入っているからと断った時のことだ。彼はその返事を無視して、強引にシアトル入りをしたけれど、僕は会えなかった。日本の出版社のビデオ撮りのロケをコーディネイトしていて、抜け出すこともできなかったのだ。自分の勝手な都合であるとはいえ、この会計士としてみれば、見知らぬ土地に、それも初めて訪ねて行ったのだから全面的に面倒を見てもらって当然だ、という期待感が強かったに違いない。更には、一般通念として尊敬を受けて当然であるべき会計士が、全く無視されたものだから、彼のエゴは傷つけられた筈(こういう場合プライドとは言わない)。日本へ戻ってから、あちこちで僕のことを悪く言って廻ったと聞く。傍迷惑な話この上なかった。、

そういう(日本から来る)彼らの殆どは言葉が喋れないから唖、字が読めないから盲、聞いていても理解出来ないからつんぼ、運転したくないからイザリ、こちらとすれば手をとり足をとって、まるで幼児の面倒をみるかのようにしなければならない。それをして上げること自体は吝かではないし、是非シアトルを案内して上げたいのが僕の本心。だけど零細企業を営んでいる身にはこたえる。僕がやらなかったら、仕事が宙ぶらりんになるほどに小さな個人業を営んでる辛さ。だから僕には現地受入れサービスを毎日毎週の様に繰り返してはいられないという現実がある。にも拘わらず、仕事を休んで面倒をみたりすることも頻繁だし、その様にも期待されることが多い。そのくせ僕が日本に行った時なんかは、先方は忙しくて、僕と会えるのは夜の食事だけとかいうことばかり。僕も昼間は仕事があるので、こちらにも昼間に会うつもりもないのだから、文句は全然ない。 まあ、そういうことで、僕にも生活はあるし仕事も忙しいので、日本からの訪問客のベイビーシッティングは、昼間からはキツイのである。僕と親しい友人たちは、夜だけで良いから遊ぼう、と言っては勝手にレンタカーであちこちを廻ってくれているので、とても助かる。

ハッタリ君にも出迎えに行くとは言わず、レンタカーをしてもらっていた。まあ、デイブとは二時間の約束なのだから、、出迎えに行かなければなるまいか、、。空港で挨拶をするやデイブはこんなことを言った、"帰りの便は夜の11時40分だから、今日はゆっくりと話ができる" デイブは最初にそう宣言をしたのだ。 "デイブ、僕は他にやることがあるのだから、そんなに長い時間は付き合えないよ、約束は2時間ということではなかったの?"僕は予防線をはった。 "私のことは気にしてもらわなくてもいいよ、君のジャマをするつもりはないから"、分別のある?風貌の56歳のエンジニアーはこたえた。白髪で誠実そうに眼鏡をかけたデイブは、優秀な開発エンジニアー。過去にもレース用のオートバイやマウンテンバイク向けに、数多くの部品を開発してきたキレ者だ。僕はマウンテンバイクのサスペンションで彼との付き合いがあった。

最初にデイブと出会ったのは、ディズニーランドのあるアナハイムで開催された1992年の国際自転車見本市、インターバイク。それ以前にも電話では度々話しをしていたのだが、電話で彼のヤバサ加減を知ることはできなかった。 彼のエキストリームなヤバサが分かったのは、初めて会った時のレストラン。 英語で彼の性格を表現するとオブノキシャス、エキセントリック、エゴドリブン、ナルシスティック、エゴセンタード、セルフィッシュ(シェルフィッシュではない、因みにシアトルを訪れたデイブはシェルフィッシュによるジンマ疹で苦しんでいた)、等々。この内のどれもがあてはまる。一昔前の出来事で彼の性格の描写をするよりも、まだ生々しさの残る1997年8月13日木曜日の出来事で説明するほうが分かりやすいだろう。何て言ったって、この夏、僕は生まれて初めてと言っても許されるほどの恐怖の一日をこのデイブによって過ごす羽目になったからだ。

僕は約束通り、二時間の間デイブの話の聞き役にまわった。仕事の話が話題にのぼらない。ミーティングの後に行ったレストランでデイブに聞いた。 "デイブ、アジェンダ(話)は、何なんだい?" てっきり新製品の話でも?と思っていた僕の予想は大きく外れ、態々サンフランシスコから訪ねて来ただけの話が出てこない。ちょう度そんな時に彼の注文したお昼の品が僕らのテーブルに運ばれてきた。運ばれてきた盛り合わせを見ると、デイブはウエイトレスに向かって言った、"椎茸だけでやり直してください"そこで会話は途切れてしまい、彼の口からアジェンダを聞き出すことはできなかった。

デイブはダブルマッシュルームという二種類のマッシュルームの入った品を注文し、それがテーブルに運ばれたのだが、盛り合わせはメニュー通りに椎茸とアメリカンマッシュルームのミックスディシュだった。ところが彼は、椎茸の他に味なしアメリカンマッシュルームが入っているから食べないと言って、椎茸だけでやり直す様に命じたのだ。皿の上にのせられた椎茸を見て、椎茸だけを食べたい、と考えを新たにしたのだろう。レストランは文句を言わずにやり直しをした。こんなところにデイブの身勝手さが表現されていた。だけど、この程度のセルフィッシュさは彼にとってはお茶の子さいさい。序の口でしかなかった。このくらいのことで驚いていたのでは、デイブの相手は務まらないのだ。

昼食を終えて1時30分に事務所に戻ると、デイブは言った、"ちょっと昼寝をしたいのだけれど、どこかで寝かせてくれないか" 我社を訪れて仕事の話もせずに昼寝をしたいという来客は、かっていなかった。倉庫に大き目の段ボールを幾重にもひいて、ジャケットやシャツをまるめて枕とつくってやると、デイブは下着の赤パンになって横になってしまった。そんなデイブを倉庫に残して事務所に戻ると、僕のオフィスでは、前日のハッタリ君が僕を待っていた。

"昨日はどうも"ハッタリ男はそう挨拶すると、前日と同じパターンでいろいろとハッタリやデカイ話をし始めた。 例えば、"マーケティングなんて簡単、取材と同じ様なもの"とか、"ロスぺローの仕事で、、"とか。 勿論、手の内はスケスケのミエミエ。それでいてマーケティングの経験はゼロだし、知識もない。あたかも彼がぺローと直接仕事をやっている様な話し振りだが、そのクラスの仕事になれば日本の大商社が絡むのでハッタリ君の入り込む余地などはありえない! 更には、昔インディアナ州の黒人新聞の記者だとかサンケイ新聞の記者をやっていたというのだが、オブノキシャスなデイブとの話を耳に挟んだ限りでは、英語は間違いだらけで、チョベリ下手もよいとこ。僕はイライラし乍らハッタリ君の相手をしていたのだが、そんな気持ちはおくびにも出さずに適当に聞き流し、これからバンディットをケンネルに迎えに行かなければとか、そんな考え事をしていた。

名犬バンディットは、僕の遥かカナダ旅行中にケンネルに預けられて、そこで鉄格子の生活をしていた。 汝、哀れなるは犬なり。"そうだ、これからバンディットを迎えに行ってあげよう" ハッタリ君の相手だったら車の中ででもできる。この効率の高い考え方に僕は嬉しくなった。だけどハッタリ君のニコチン息が嫌だなあ、まあエアコンを切って窓を開ければいいか。僕はハッタリ君をトラックの横に乗せるとスピードを上げてケンネルに向かった。勿論、窓を大きく開けて走ったことは言うまでもない。ハッタリ君は僕のいるところではタバコを吸わなかったけれど、会話中の息に含まれるニコチンが酷く、僕の唇や喉はピリピリと不快、何の得があって俺はこんな思いをしなければならないのだろうか?そんなことを考え乍ら、バンディットを出迎えた後にハッタリ君を送り届ける為に空港へと向かった。この日の彼はレンタカーを戻して、我社にはタクシーで来ていたのだ。

"デイブ、どうしたの?" 空港から戻った僕は、僕の部屋で裸のデイブを見て驚いた。"今、裏の川で泳いできたんだ" 酷いジンマシンで真っ赤かの裸をさらけ出してデイブは答えた。前夜サンフランシスコのシーフードレストランで食べた貝があたったというデイブは、ジン麻疹で覆われた身体を冷水でスッキリしたかったのに違いがなかった。"薬局に行きたい" サンフランシスコの医者からは処方箋を貰っている。だけど僕には連れていって欲しいとの依頼をしなかった。僕が連れて行かなければ薬局には行けないのに。まだまだ、このくらいで怯む僕ではない。衣類に身をまっとったデイブを連れて、近くの薬局に車を進めた。薬剤師は30分で薬が用意できると言う。"デイブ、君はここで薬が出来上がるまで待った上、歩いて戻ってくれ"僕は、年上の身勝手男に向かってそう言うと、即座に事務所へと戻った。

red_dave.jpg (8990 bytes)"あっはっは" 事務所では、社員の拓未がないハラをかかえて笑っているではないか。"小野沢さん、表のドアの脇を見てください!" 彼女は可笑しくて仕方がない。拓未の笑いに興味そそがれて僕は表に出た、そしてドアの脇を、、、見た。そしてそこに目にした光景は?、、何てことだ!前代未聞本邦初公開の光景が僕の目の前にある! 何とそこにはデイブの下品な下着が干してあるのだ! そのアンパン(アンダーパンツ)は赤。そう、赤のアンパンで赤パン、赤フンのアンパン版だ。きちんと絞らなかったとみえて、まだ水が滴り落ちている。拓未ちゃん、ちゃんと絞ってあげろよ。やあですよ、汚らしい! そんな会話はなかったが。僕は記念写真を撮ってしまった。

僕がハッタリ君と出掛けている間に、昼寝から起き上がったデイブは、起き上がりの赤パンのまま、事務所裏のグリーンリバーまで公道を歩いて行き、そのまま川に飛び込んでしまったのだろう。そして、今度は水を滴らせながら建物に戻り、僕のオフィスで裸になった。次に赤パンは、薬局に行く寸前に表に干された。ここに至る迄にはプッツンする人は多いであろうが、僕は切れなかった。むしろ、この赤パンの出来事から、デイブの可笑しさ(但し本人はマジ)に僕の気持ちはエンターテインされる様に変わってきていたのだ。次には何をしでかすのだろうか?

"薬をもらってきた"デイブは僕のオフィスで、向かいあって腰をおろすとそう言った。ボリボリとあちこちを掻いている。ボリボリ、そうデイブはこの日、空港で会った時からボリボリと腕や首筋を掻き乍ら僕と話をしていたのだ。それも血が滲むほどに掻く。キタネエったらありゃしない! それを見ている僕はゲンナリとして、昼食をし乍ら嫌で嫌で仕方がなかった。まあ、薬で治まってくれれば、これ以上ボリボリを目にすることもあるまい。もう少しの我慢だ。やはり人間は我慢が肝心なので、こういったことは鍛練、試練と思って前向きに対処することが一番! そんな風に自分の考えや取り組み方を固めていると、このボリボリデイブは、何と鞄からおもむろに靴磨きキットをとりだしただはないか。埃まみれの靴をぬぐと、この僕の部屋で靴を磨き始めたのだ。赤パンの時は笑うこともできて、おもわず記念写真まで撮ってしまったが、ボリボリと靴磨きは嫌だ。"デイブ、靴は僕のオフィスの中ではなく、外でやってくれないかな" 僕の口調に遠慮はなかった。

十分後、ピカピカに磨きあげた靴を履いて、デイブは再び僕に向かって座った。そして再度鞄に手を、、、。今度は何が出て来るのだろうか。興味深々の僕は彼の手の行方を見守った。鞄の中で手はガサガサと何かを捜し求めている。あっ、何かを掴んだようだ。今取り出している。何か大きいぞ。赤緑にくすんでいる。何だろう? あっ分かった、マンゴウだ。そう、果物のマンゴウではないか。お土産に持参してきたのかしらん? だけど、マンゴウなんか貰っても、、、なんて思ったりしていると、デイブはナイフまでも取り出して、徐ろにマンゴウの皮を剥き始めた、、、、僕のオフィスで、、、。 "デイブ、あのね、マンゴウは汁がたらたら滴れるよね? 洗面所でやってくれないかなあ? 血の滲み出るボリボリと靴磨きの後、デイブは手を洗っていない。その手で今度はマンゴウだ。僕が彼のことをどう思っているのか察することもないデイブは、皮をむきながら聞いた、"ショージ、一口食べるかい?" "ノーサンキュー"この時の僕にはこれ以上に適切な言葉はみつからなかった。

"デイブ、空港まで送るよ"マンゴウを口に含んでモグモグしているデイブに向かって僕は言った。彼の口からそれに応える言葉は出なかった。喋ろうとすると、マンゴウの汁が口の両端からこぼれおちるのだ。下手をするとプチューとスクウォートされて、顔にピチャーとひっかけられるかもしれない。それがイヤで僕はデイブの側を離れた。

デイブは隣りのオフィスで電話に向かった。僕は自分のオフィスで、仕事なんて手につきはしない。まけずに僕も受話器をとると、デイブを知る知合いや友人たちに片っ端から電話をかけてしまった。この現在進行形のデイブの行動を、逐一、面白可笑しく話し伝えなくては気持ちがおさまらなかったのだ。最初は呆れ返って僕の話に耳をかしていた友人たちも、最後には喜んで聞いていることが電話を通じて良くわかった。大きな笑い声をあげて"うんうん、ウワア!"なんて相槌を打ち乍ら聞いているのだ。だけど電話を切る前には皆が皆そろって"ご愁傷さま" この逸話は、今後アメリカのマウンテンバイク業界の歴史に残るだけの充実した内容を含んでいる、とこの時の僕はそう信じて疑わなかった。

5:00PM、デイブはまだ電話中。 6:00PM、社員が帰宅した。 7:00PM、まだ電話から離れない。 デイブの電話は3時間続いた。 だからといって、その間に僕は仕事に戻れたわけではなかった。実際には、この日のデイブの身勝手さ振り回されていた僕は仕事どころではなかったのだ。

電話から離れて、デイブは美味しい日本食が食べたいと言った。彼の奢りだという。会社から30キロほど離れた街ベルビューにある日本食レストランへ向かう車の中で、薬が効いてきたからなのか、デイブは寝込んでしまった。そして眠ったり醒めたりを繰り返した。 "デイブ、君は疲れているからこのまま空港へ行こう" 空しいサジェスチョンだったが、僕は期待を掛けて彼の返事を待った。空港に戻る気を全く持たないデイブは "シアトルは日本食の美味しい街だ、日本食を食べなければ"と言ってまた眠り込んでしまった。解放の時はまだ遠い。

"貴方って悪いホストね"デイブが電話をかけに席を外した時に、レストランで僕の隣りに座った30代のブロンド姉さんから僕は言われた。 "何故" "だって、貴方がきちんとしないから、貴方の客はウトウトと眠ってしまったでしょう?" 勿論、僕をからかって言っているのだ。 だけど、この時の僕はデイブとは口すらも交わしたくもなかった。だから不快感は丸出しで、それは他人に気づかれるほどだったかもしれなかった。 当の本人のデイブは、まるっきし感づいてくれていない。それどころか、電話から戻ってから、デイブはこう言った、"ショージ、ブルーズの生演奏が聴ける店を知っていたら、その店に行こう、電話はあと五分ほどで終わるから車のところで待っているから" 彼はそれを言うなり、また建物の外にある公衆電話へ行ってしまった。夕食をご馳走すると言っていたのはどこの誰だ! 僕はそんな気持ちを押さえて支払いをすませると、外に駐車してある車に乗り込んだ。 デイブはまだ電話で話をしている。

"デイブ、このまま空港へ送るよ" シアトルの中心地にあるライブハウスに向かう車の中でウトウトしているデイブに向かって僕はトライした。時間は既に9時。"今から空港へ行って何をしたらいいんだ。まだ2時間半もある!" デイブは自分自身のことしか考えていない。どうせウトウトするんだったら空港でやってくれ、そうすれば僕は僕で家へ帰って真剣に寝ることができるではないか、と言いたかったが、それは押さえた。 "分かった、分かった"

ダウンタウンはパイオニアスクエアーの浮浪者のたむろしている通りに路上駐車をすると、僕らはブルーズのレコードがガンガンと鳴り響いているJ&Mカフェに入った。9時20分、まだ客の数は少ない。演奏は9時半にからでないと始まらない。店はその頃から忙しくなるのだ。デイブはビールを一口すすると、がなりたてるブルーズを子守り歌に再び眠り込んでしまった。生演奏が始まっても目を覚ますことはなかった。この男は分別のある様な顔をしてこの我侭に突き合わされている俺のことをどう考えているのだろうか? デイブは空港で眠り、僕は家で眠る、という効率の高い眠りの振り分けが一番フェアーである、と僕は信じてやまないので、このように他人を振り回し乍ら、自分だけ勝手に眠り込んでいる身勝手人種に対してアタマにきていた、、が、僕はブルーズの生演奏に没頭して、気を紛らわせることにした。

"デイブ、出よう"ビールを飲みほした僕は、このやっかい者をゆりおこした。 "ショージ、二三曲踊りたいから、もう少しいよう"と言うなり、昼間磨いた靴を脱ぎ捨てると、白髪頭の男はきたなく汚れたバーのフロアーで踊り始めた。一曲踊り終えると僕はまた言った"出よう" すると今度は"女の子とまだ踊っていない" そう言うと店内にいるめぼしい女性に声を掛けはじめて、しまいには男を連れ添った女性までをも含めて店中の女性に声をかけてまわった。老いも若きも問わず、女ならだれでも、と、年令や容姿差別もせず、ブスに対しても公平に声をかけていた。その成果は如何に? 結果は?当然のことといえば当然?のボウズ、英語で言うとスカンク。この根性はある意味において、敬服に値するものがあるといってもよい。まあ、感心ばかりもしていられないので、僕は彼の腕を掴み上げると、外に向かって歩き始めていた。 "デイブ、これから君の荷物をピックアップして空港へ送る" 彼には有無を言わせなかった。

デイブは、前立腺腫瘍と医師の診断を受けている。結婚はしたことがない。それでもこの歳に至るまでには何人かの女性との同棲は繰り返し、相手の子供を育てたことすらある。つい最近の話しだが、不幸なことに別れ話しがあって、共に暮らした女性の家を出るはめ(追い出された)になったばかり。悪いことは続くもので、二週間前には、居眠り運転で大型トラックに追突しそうになって大横転。奇跡的に怪我はしなかったものの、車は大破してしまった。このマンOFミスフォーチュンにまつわる話をしだしたらきりがない。すぐに運に逃げられてしまう。この日の僕はこのミスターミスフォーチュンに祟られてしまったのだけれど、もうそれも後は空港に送り届けて終わり。やっと解放されそうだ。事務所に戻るや、僕はデイブの鞄を車に積み込み、空港に向かう準備を完了。だけど肝心のデイブがいない。何をやっているんだ、アイツは?

この時デイブは事務所内で電話を掛けていた。夕方に三時間も続いた電話が、場所を移し、レストラン、そして再び僕の事務所に戻ったのだ。ある人の電話番号を調べる為に、ここまでにも執拗に! 23年前にデイブがアフリカでヒッピーをやっていた時に出会ったシアトル出身のアメリカ人家族の当時10歳になる少女がそのターゲットだった。ひょっとしたら、今でもシアトルに住んでいる筈、そう信じて疑わない当時33歳の元ヒッピーで当年56歳のエンジニアは、3時間もかけて、かったぱしから彼女の電話番号を調べあげていたのだ。こういうことは僕の時間を割きながらやることではないだろうに!と僕は腹がたってアタマにきていた。

23年前にアフリカで出会った少女はとても美しく、忘れられないという。"デイブ、そういう電話は空港でもできるだろう"僕は横でイライラしながら彼をにらんでいた。10:40PM、どうやら少女の父親の電話番号が判明した様だ。 "デイブ、さあ行こう"僕がそう言った時には、その父親に電話はつながっていた。僕のイライラは更につのる。横でわざとそれを身体で示すのだが、デイブは分かっていても無視か、まるで罪悪感はない。それよりも両脚を机にのせると、イスに仰け反って、リラックスした姿勢。長電話への態勢に入ってしまった。

11時まで続いた電話の話しぶりからは、その少女は今年33歳になっていて、幸せな家庭をもち7歳の娘がいるという。久しぶりなのだから、つもる話もあるだろうから話をさせてあげたい。だけど、この日の僕が受けた迷惑を考えれば、そうも理解者をよそぶってもいられなかった。この電話を切らせたって、被害者の僕だからこそ許される。僕はデイブの肩を掴み、そして言った"サンフランシスコに戻ってから、また電話をするといってこの電話を切ってくれ"

空港に着いた時はサンフランシスコ行きの便の離陸20分まえ。僕は彼を車から降ろすと握手を求めるその手にも応えずに、挨拶だけをすませてその場を離れた。やっと解放された! S何という一日だったのだろうか。この日の出来事が信じられなかった。二時間のアポが延々と13時間、それも仕事の話はゼロ。ここまで他人を振り回して平気でいられる人間と過去に出会ったことがなかった。デイブはハードコアなセルフィッシュ人間だ。彼こそキングOF身勝手で図々しくナルシスティックなルーザー。そんな人間の為に、僕の貴重な一日が振り回されてしまった。これを夏の日の恐怖と呼ばず何といえようか。彼は空港へ向かう車の中で僕に向かってこう言った。 "このアフリカで出会った少女と結婚をしたい。いま幸せな結婚をしていたって、そんなことは構わない" そう、彼の論理をこの日の出来事に当てはめると、僕の一日に迷惑がかかったって、そんなことは構わないのだ、彼さえ良ければ、、、、。

こんな経験は、僕にとっては生まれて初めて。こんなことって本当にあるのだろうか、と思いつつ十年前の出来事が脳裏に浮かんだ。あっ、そういえば以前にも似た様なことがあったなあ! 日本の友人の友人のまた友人というレベルも離れた、見知らぬ"友人"が家族四人で我が家に四泊していったことがあった。自分たちで車を運転しない彼らは、明日は買い物がしたい、今日はゴルフがしたい、といっては我が家の女房と僕を散々と振り回した挙句、最後の晩には子供たちがシアトルのお寿司が食べたがっているので、と言った。お寿司ねえ、これだけ、我が家に面倒をかけたのだから、お礼に夕食を(きちんとした人たちは最後にそうします)、というのかな?と思いきや、、、。 結局、支払いは僕がする羽目になった。その時の僕は"ご馳走様でした"という声をまるで信じられない気持ちで聞いていたっけ。勿論といっても芳いものか、この家族からお礼状は送られなかった。ちょうど十年ほど前の真夏の出来事だ。ひょとしたら、こういった恐怖の訪問者は十年周期でやってくるのかもしれない。秋には日本へ行く予定にしているので、神社へ扼払いをしに行くことにしよう。

8・16・97

追記

最近の日本人には、他人からの好意の期待をするくせに、お礼の電話が出来なかったり、せっかく小包便を送って上げても、お礼どころか贈り物を受け取ったとの確認のひとつすらできない人が多い。そんな中、僕は最近、海苔一帖をそえた毛筆によるお礼状を受け取った。こんなことは、僕の人生で初めての経験。 First time in my lifeであった。 送り主の名は宮城ひさやさん。日本におけるカントリー&ウエスターン音楽の草分けの一人。 ロカビリーの全盛時代に小坂一也、ジミー時田、寺本圭一、城卓也、いかりや長介、瀬谷福太郎、黒田美治そして原田実等と共にバンドを組んでいた人だ。僕はその面々のひとりである宮城さんから依頼されて、アメリカでポピュラーなガーメットバッグを購入すると、それを発送した。 宮城さんは、小包便を受け取るや、FAXでその確認をしてくださった。今時こんなふうにきちんとしてくれる人が日本にいるなんて! 僕はそれだけで大感激だったのに、その上、何と代金を添えて毛筆による和紙のお礼状が届いたではないか。これは凄い!ことであった。

ミュージシャンの宮城さんからのお礼状には金銭的価値からすれば、海苔一帖だけでデパートの包装紙もなかったものの、毛筆による"真心"付きだった。これは、数年まえに我が家に泊まっていかれた作家の安西水丸さんについても、そして日本の名写真家として名の高い綿引幸三さんも同じことがいえた。安西さんからは、受け取る側の心に訴えるようなお礼状を、著書の一つである"十五歳のボート(署名つき)"に添えて頂戴した。 綿引さんからは、表紙裏に毛筆で僕の名あてに謹呈として、重装な綿引幸三写真集"北海道、季の色"を、航空便で送って頂いた。こういった方々は、ある意味において売れっ子プロばかり。 " 忙しくてお礼状を書くことができなかったと"言い訳をするビジネスマン、サラリーマンそして家庭人たちの数十倍は多忙な毎日を過ごしておられる面々だ。 そんな彼等に共通していることは、日本の古き良き時代を感性の赴くままに生きてきた人たち、であるということだろうか。夫々の芸域で "心"を語り続けてきた人ばかりだ。そんな感性の持ち主たちだからこそ、相手に自分の気持ちを伝えることに気を遣うことができるのだろう。 一般人とでは、考え方が異なる。

"見知らぬ土地なのだから、そこにはその旅先の人たちの善意があり、その好意に甘える、それが旅なのだ" といった勝手な観念や考え方が日本人にある。 成人した社会人が、相手への迷惑を考えたり、お礼の挨拶が出来ない(殆どの場合)で、好意の期待(日本の中では遠慮)ばかりをすれば、それは日本特有のアマエまるだしであろう。 感性とか理性の欠如はいうまでもない。日本のタテマエ社会では活きている気配りや礼すらも、ひとたび政治的な利害関係(盆暮れ正月の付け届けに代表される無機質的礼節)の外に出ると機能しなくなる。 言い換えれば、大量生産の年賀状やお中元お歳暮の様に、心のこもらない形式的な挨拶は、ひとつのルティーンとして実行は得意なのだが。 心を込めなければならない場合だと、馴れていないからか、ネグレクトされてしまう。 強いて言えば、礼節の欠如か表現力の欠如が原因で、殆どの人たち場合は手紙どころか電話の一本もよこさない。そういう人たちに限って、形式だけの挨拶や、盆暮れ正月の挨拶に関しては大きなエネルギーをさく。

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