ボスは迷文家シリーズ |
外来語が定着するということ
外来語が定着するということ
"美しい日本語を大切にしよう! 外来語を軽率に使うべきでない"と指摘する人が多い。確かに日本語は美しいもので大切にしたい。然し、よく考えてみれば、言葉というものは、外国語からの影響を大きく受けて現在に至った、ということが分かる。その時代時代にあって、日本語化された外来語の使われ方に、大きな違和感なり反感をもつ人も多くいることであろう。心情は良く理解できる。だけど、それと定着過程にある外来語を、日本語として認めないということは別である。日本の文化、伝統、新技術は、その昔に印度や中国そして朝鮮半島から伝えられてきた、という歴史的事実がある。日本語そのものも、それに伴って大きく影響されてきた。当時の外来語(中国語や朝鮮語)を採用することで形成されてきたのだ。外来語を絶つということは、文化の鎖国を意味し、新技術そして新知識の交流の為のパイプを細くすることにもつながる。
外来言葉が定着したということは、それ自体でその言葉の日本語化を意味し、理論をもって否定出来ない部分がある。そもそも中国語を大きく崩して出来上がった言葉が日本語の書き言葉だ。中国語の言語学者にとってみれば、納得のいかないことばかりだった筈。最近の新語では、今日の日本で頻繁に使われている"ゲットする"なんていう元英語も、聞いているだけで僕は"ゾット"する。GETという動詞を日本語で動詞化すると、ゲット"する"となるが、語源の方に慣れ親しんでいるためか"ゲットする"なんて聞くと気色が悪い。英語ではここの"ト"の音は消去され、実際の音としては"ツ"に近いのだが、日本語になると、"シーンと(消去音)"せずに、"子音と"されている。だけど、既に定着済みのバンド(BAND)という外来語にしても同様なファナティカルな日本語化があったものの、この場合には物心のついた頃から慣れ親しんでいる為に違和感はない。 いきた"言葉として日常化し定着した言葉だからだ。因みに、米国では"バンドをやっている"という表現をするものの、ベンチャーズ等を指して"あのバンドは、、"という時には"あのグループは、、"となることが多く、その善し悪しを語る時には"いいバンドだ、、"とも言う。"
最近の日本語では、"学校をさぼる、仕事をさぼる"と書いても不自然でなくなった"さぼる"という言葉は、仏英語のサボタージュに由来する。それを短く"さぼる"として、我々はとうとう日本語にしてしまったのだ。今日の小学生には、この言葉が外来語であることすら分からないのではなかろうか。この言葉の意味は"欠席する"でもなく、ずる休みをする"でもない。日本語として使われた時、語源の言葉がもつような"仕事を放棄する"といった強い意志は含まれていない。これも、仏語や英語に詳しかった人々にしてみれば、首をかしげたくなる様な日本語化であった筈だ。然し、本来の意味で使う時は"サボる"とは言わず"サボタージュをする"という表現で新聞でもみかける
軍国日本で、野球から敵国語(英語)の用語が外されたことがあったが、終戦と同時に戻された。この場合には、無理な日本語を適用することに不自然さがあったのではなかろうか。野球が日本の国民スポーツとして定着している今日、ホームランとかストライクという野球用語は、日本の言葉だと言いきっても間違いではない。英語がラテン語やギリシャ語にルーツをもつ様に、日本語も中国語や韓国語だけではなく20世紀に入ってからは英語にもルーツをもつ様になったというだけだ。
エアライン関係の米国人を中心にサンフランシスコを短く"サンフラン"と呼ぶ。これは日本人による短縮ではない。また、日常語として"フリスコ"と呼んだりもする。 サンフランシスコ湾一帯をベイ・エリアとも呼び、サンフランシスコ湾もフリスコ・ベイと呼ばれて親しまれてもいる。余りにも長すぎる名称であるが為に"生きた言葉"として短縮されたのだ。ロスアンジェルスの場合、アメリカ人の様に頭文字だけをとって、LA(エル・エイ)とするならば納得もできるのだが、英語でいうところのTHEの複数形LOSのみをもってLOS ANGELESとすることは非常に異様ではあるが、言葉としては定着している。日本からのツアー・コンダクターには、LOS ANGELES空港のLAXをもって、"ラックスへ行た時のこと、、"とかの表現で代用している人たちが多い。カリフォルニアがメキシコの統治下にあったスペイン語時代には、ロスアンヘレスであったものが、米国がメキシコからカリフォルニアを略奪してから、英語読みのロスアンジェルスとなったのだ。スペイン語の英語読みだ。ところが今度は、アメリカ人のみならず、日本人までが入り込む様になって、この都市も様々な愛称をもつようになった。因みに、LOS単数形はELが男性.。女性名詞に付けられる冠詞はLAが単数形で、 LAS VEGASのLASが複数形となる。
日本の雑誌は今でもREIをアール・イー・アイとは呼ばず、レイと呼んでいる。KLEIN(クライン)というメーカー名は、クレインだった。GARYという男性名は、ギャリーとは英語の様に呼ばず、ゲイリーだ。媒体が間違ったままに、伝達してそのまま、使われている(定着している)名称が多い。これらは、比較的新しい外国名は、マスコミの力で語源に近い発音に直すことができるかもしれない。
ところがケルンの様に、ドイツの一都市名の呼び名が日本語化した呼び方の方がドイツ語に近いからといって英語のスペルを変えるわけにもゆかない。ドイツ語で"o"の上にウムラルトがついたこの言葉の発音は、口を細めて鼻にかけて出す音で"e"の音が若干混ざっていることから、ウムラルトなしでスペル・アウトする時には、"oe"で代用することになる。ところが日本語にはこの発音がない。英語読みのコロンよりも日本語読みのケルンの方がドイツ語に近いとしたところで、上記のゲイリーの様にGARYからほど遠い発音も日本語の中には数多くある。
世の中には"来客が来る"、"入梅に入る"とか"発想を想う"などと、言葉の意味を的確に解釈していたり、語彙が豊富で言葉の選択がきちんと出来ていたらおこらないであろう間違いを頻繁に犯す人がいる。定着した外来語にも語源がきちんと理解されないまま日本語化された言葉が多い。ファナティカルな音の間違いだけではないのだ。然し、いくらこういった点を指摘してみたところで、マスコミを通して大衆の間で定着してゆく新造語や外来語をとめることはできるものではない。これらは理論ではなく生きた言葉なのだ。言葉の定着化の過程において、ある特定の外来語に対して抵抗感をもつということは、如何にして言葉が造られてゆくかを、身体で感じ取っていることを意味している。バンドの例にあるように、既に馴染んでしまっていれば抵抗はないが、ゲットの様に"IN PROCESS"の新外来語は馴染めないでいる人も多い。
日本語は中国語を含めたその他の外国語や造語から成り立っているといっても過言ではない。鎖国でもしていない限り、文化、技術、習慣、言葉などは他国からの影響を受けるもので、外来語が定着するということは日本人が何らかの形で他の国から影響を受けているということを意味する。その中には良い影響そして悪い影響の二つの影響があるものの、歴史の中ではそうして受けた影響も日本人に合うように変化をしてゆく、なかには時代の流れに風化してゆくものも多くある。新学説や技術の進歩を含めて、全てについて同じことがいえる。それが理解できないと"チョベリバ"じゃん、と僕は思うのだが。
小野沢昭志(イサコア)
10/30/97