ボスは迷文家 シリーズ


Vol.28

推測
伊丹十三監督の死
自殺ではなく殺しだ!


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シアトルのレストランで、隣に座った人たちの会話を耳に挟んだ。伊丹十三監督は自殺をしたのではなく、殺されたのではないか、と。考えてみればマルサの女そしてミンボーの女と、信念をつらぬいて映画を制作してきた伊丹監督が、女性関係への疑惑という理由だけで自殺したなんて納得がいかない。本当に写真週刊誌の嫌がらせに悩まされていただけならば、自殺ではなく寧ろ写真週刊誌を映画制作の場で糾弾する道を選んだ筈だ。それならば我々が理解している伊丹十三監督のイメージとも合致する。 でも現実は"死んで身の潔癖を、、、" これは我々が想像しうる伊丹氏の思考の結果とは思えない結末であった。 これは自殺ではなく、自殺に見せかけた他殺であったのではないだろうか。 レストランで耳に挟んだ会話の一片は、僕の脳裏にひとつの推理をよんだ。

僕の推測はこうだ。英会話学校の女性とは、実際に何らかのビジネスの話があった。 それも伊丹氏が興味を引くようなもの。 ところがこの女性は暴力団に操られていた。 このビジネスの話は罠であったことを意味していた。 勿論のこと、伊丹氏にはそれを知る術も無い。 だから彼はその話にのった。 現金が引き渡される日が決まると、当の女性は、男女関係を強要されていると虚偽の訴えをし、写真週刊誌"フライデー"に金銭引き渡しの時と場所を教えた。 脅しや自殺原因の状況造りが、伊丹氏の知らぬところで進められていたのだ。 そして最後に暴力団がのりこんできた。 筆跡を真似た遺言状を用意した上で、伊丹氏をマンションの窓から突き落とし、自殺にみせかけた。 こうして伊丹十三監督は無残にも殺されてしまったのである。 女性は、虚偽の訴えはしたものの、自分が殺人に加担することになるなんて想像すらしていなかった。 写真週間誌"フライデー"にしても然り、このシナリオにそって、監督殺しを知らずして手伝ったのである。

英会話学校の女性、現金引き渡しの現場云々、これらの全ては暴力団が仕掛けた罠。 状況捏造の目的に"フライデー"が上手く躍らさせられて、監督は殺された。 伊丹氏くらいの人物ならば、街の英会話学校で男女関係を迫ることのリスクは熟知していたであろうし、求めずとも寄ってくる女性は多かった筈。 その上で彼が金銭を支払ってまでして、そんな女性に対して男女関係を強要したとは考えにくい。 寧ろビジネスであったとする弁明の方が納得いく。 また、引き渡し日に写真週刊誌を呼んでまでして、女性は公の場にひとつの既成事実を残そうとした。 これでは裏に何かがあると疑うざるを得ない。 普通ならば警察に訴える筈だ。 この推理にしたがい、当の女性を追求すれば何か出てくる筈だ、と僕は信じている。 せめてもの供養だと思って、"フライデー"はその点を追求してみたらどうだろうか。

実際に、写真週刊誌による芸能人のプライバシー暴きは、目にあまるばかりで、そこには表現の自由をかさに着た暴力があり、ハラスメントがある。 低俗で破廉恥で、暴力団による嫌がらせと何らかわることがない! 報道という盾看板を前に掲げたら、プライバシー暴きをやっても許される、と信じた途端にジャーナリズムは死ぬ。 ジャーナリズムとは何か? そこいら辺をはき違えた報道関係者が余りにも多いのが、センセーショナルな記事のみに走る日本の週刊誌産業だ。 ジャーナリストとしての自覚や哲学が許容されない商業主義に基づいているから、仕方がないかもしれないが、だからといって人格へのハラスメントが許されるという理由にはならない。 然し、そんな週刊誌文化の背景には、それを喜んで買い読む日本の大衆がいて、スポーツ選手や芸能人への活字や映像による暴力を支持している、という事実があることも忘れてはならない。 伊丹十三監督が次に挑むに足りる課題がそこにはあるのだが、作品"バクロ(暴露)の女"は夢のまた夢となってしまった。

1998年1月6日

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