ボスは迷文家シリーズ |
土師淳君殺害事件: それを許した社会意識
イサム・ノグチの作品写真集
土師淳君殺害事件は、中学三年生の少年、それも遊び仲間による犯行。 純粋である筈の15歳の少年は猟奇心理にとりつかれていた。これを、社会や学校教育のせいにすることはたやすい。この種の事件が発生する度に社会の責任と叫ぶ集団ヒステリアが聞こえてくる様だ。しかし、その社会を許している市民一人一人に責任はないのであろうか。そういった点について言及してみたい。
日本人の意識は高い、が・・・
確かに社会に責任がないとは言い切れない。 然し、その社会は誰が構成しているのであろうか。我々市民ひとりひとりがその構成メンバーなのだ。 日本では、そのひとりひとりの社会意識は高い。ところがその意識は自己や社会を規制する上での倫理観やパワーとなりきっていない。政治や社会の批判はするが、いつも距離をおいている。 だから、それが変革を求める為の実践(市民運動)に転じないのだ。 一億総評論家の日本では、いつもどこかで誰かが酒を飲み交わし乍ら新聞に論調をあわせて、政府は何もやらない、と政治や社会の批判をしている。然し具体論に大きく欠けるし、アジェンダを細分化してマクロとミクロを分けて語ることを得意としない。だから、仮に残虐小説の規制をしようという意識がたかまったとしても、話題は、表現の自由までに発展して、手の届かない憲法のレベルまで行き着く。そしてそこでお手上げ。 憲法を順守することと、そこに規制を加えることを分離せずに論理をすすめるので、話しが見えなくなってしまうのだ。 仮に市民運動にまで発展したとしても、すぐに現実性のないところまで話しが飛躍してしまい、運動は頓挫してしまう。理由としては、抽象論と具体論をセパレートできなくさせる様な思想が日本人の心を支配しているからだが、この点については別の機会に触れてみたい。
米国にみる社会規制
身近な例で米国と日本の規制のあり様を比較してみる。 僕が通算20年も住んでいるここ米国ワシントン州では、無料チャンネル(3大ネットワーク含む民法)テレビで、男性はもとより女性の裸をみせることは出来ないし、煙草のコマーシャルも禁止されている。ビールやワイン類は、ブランドを売り込むことは出来るが、嗜好をそそる様な映像も禁止されている。ウイスキー類のコマーシャルの放映は禁止されている。 住宅地では、風俗の営業は認められない。 コンビニに雑誌プレイボーイがおいてあっても、裸が印刷された表紙には帯が巻いてあり中身がみえないだけでなく、それもカウンターの奥においてあるので、子供たちの手には届かない。 勿論、未成年者は購入することもできない。更には、一般の家庭にポルノ雑誌はみあたらない。日本の週刊誌の様な雑誌は当地ではポルノの範疇に入るが、仮にあったとしても、家庭のコーヒーテーブルに投げ置かれる様なことはけっしてない。こと酒類にいたっては、厳しいものがある。 未成年者が買い求めることが出来ないだけでなく、両親に伴ってさえ酒場に入ることが出来ないのだ。 ここで僕は、こういった点についてのことの善し悪しを指摘しているのではない。 二つの国の社会の倫理観、そしてそれを支える市民の意識の違い、そして条例の規制力を比較しているだけにすぎない。
日本ではどうだろうか
反面、日本では住宅地にポルノや酒タバコが氾濫して、その商売を支える地域住民がいる。 エロ本まがいの大手出版社の週刊誌や小説雑誌は子供たちまでが自由に買う事も許されているし、恥ずかしければ自動販売機だってある。 然しそんなことをしなくても、その程度の雑誌なら父親や兄が家に持ち帰り、居間に投げ置かれてあるだけでなく、母親や姉が買い置いた女性週刊誌にしたところで内容に大差はないのだ。子供たちが行き交う繁華街に許された風俗の無節操さたるや、米国との比較において、日本は公序良俗後進国とでもいいきれそうだ。今年の春休みに、15歳の息子を連れて東京へ行った。新宿や池袋はポルノと売春の街だ!とシアトル郊外の高校へ進む息子は驚愕していた。 電車に乗れば、ビジネスマン風の大人も含め、週刊誌や夕刊紙のポルノっぽいページを読み耽っているだけでなく、漫画にさえ熱中している。日本人の血が流れる息子は、これまで日本人であることを誇りにおもっていたが、この度の日本旅行で想像すらしなかった日本を発見し、戸惑っていた。
市民運動がパワー
ここで指摘したい点は、明らかに子供の教育上悪いとされる事が、日本では野放しのままということ。 米国では地方自治体としての州や市が連邦政府や州政府からは独立して、条例や規制をつくりあげることができる。 その上、市民の意識が高いので、市民運動が市や州政府に対して大きく影響を及ぼす力となりうるのだ。 この社会意識の高さは他国のそれを凌ぐもので、現象だけに反応する運動に走るきらいすらある。法、条例、そして規制は、変化してゆく社会とともに変化しなければならない。それを市民の力が変えてゆく。必要性をよく理解しているのは市民自身以外にいないからだ。 然しこれも民主主義の思想が定着し直接選挙制がひかれている米国だから可能なのであって、民主主義の思想が歪められて定着した日本では難しい。代表選挙制の上、地方自治体に権限のない中央集権政治の日本と、実践民主主義の米国の大きな違いの一つといえよう。
表現の自由とは何か
日本では“表現の自由”という思想がきちんと理解されていない様子さえある。ことあるごとに、“表現の自由”への侵害である、とリベラル派を装う日本のインテリゲンティア達の声を耳にする。では“表現の自由”とはいったい何なのであろうか。その原点は社会への悪影響すら許容するものなのであろうか。社会性のある“表現”に悪影響を受けた思想が、社会に悪影響をおよぼす“行為”に発展した時に、その思想を育成した影響源としての“表現”が、誰の目にも公序良俗に反するものであったとしても、それを規制することは“表現の自由”の侵害になるのであろうか。“表現の自由”とは、究極的にはアナーキーである。 然し、我々は無政府社会を目指しているのではなく、繁栄を目的とした秩序ある社会を築きあげているのだ。野放しにされた“表現”が、社会に悪影響を与えているという因果関係が明白であるならば、“表現”を規制することが社会の利益を守ることになるのではなかろうか。 僕は、今回の事件の容疑者である15歳の少年の心理は、住宅地や街に氾濫している"表現“(それは雑誌、書籍、映像、ゲーム、風俗業を含む公序良俗に反する媒体)によって、歪んだ家庭や学校の対人関係の絡み合いのなかで、彼なりに育成されたものであった、との仮説に基づいてこの文を書いている。
歪んだ存在感の顕示
今回の事件は猟奇事件であった。であるならば、猟奇心理に到達するまでの原因を究明することが次に同様な事件を引き起こさない上で必要なことだ。原因は、15歳の少年の対人関係の保ち方、英語でいうところのセルフエスティーム即ち自己の存在感への自信の有無、そしてそれを支える思想(媒体を通じてインプットされた情報群)を究明することによって、その糸口を探しあてることができるのではなかろうか。基本的に、その残虐さは、日本では日常化してしまった"苛め“と同質のものではなかろうか。程度の差はあるにせよ、本質的には学校の"苛め“と似た心の歪みがあったのではないのか。 受験のみを目指した同質化教育社会の中で、ドロップアウトしてゆく自己の存在を顕示する為の、彼自身の存在の宣言ではなかったのか。 ”表現の自由“に守られた猟奇変質情報が、媒体を通じて未だ自我の確立されていない少年の心に蓄積され、深層心理に影響を与えた。 そして少年は彼なりに、その論理を正当化したのではなかろうか。 勿論、その心理は、社会や対人とのインターアクションと複雑に絡みあって構築されたものだ。
批判を行為(具体論)に
実際のところは、その少年にしか解らない。 然し、これが猟奇犯罪であるとするならば、殺人、虐待、猟奇、そして命のやり直しすらを善しとするゲームや書籍雑誌類には規制コードを設ける必要があるのではなかろうか。 その規制を生み出す上で、お上の動きを待つのではなく、そして政府が何もやらないと批判するのではなく、市民たちの意識の高まりがほしい。 それは社会のみならず、個人のレベルでの自主規制をも促すものであるからだ。 政治に参加できないから、と嘘ぶってただ批判をするだけでなく、地域や職場レベルで、それが仮に嘆願書であったとしても、変革の為の"行為“が何よりも必要とされている。先ずはイニシアティブをとろうとすることだ。行動をおこさないということは、許容でしかない。
小野沢昭志
7.6.97
イサム・ノグチ彫刻作品の写真集
写真家綿引幸造のシアトル・ロケ
イサム・ノグチの写真集撮影の目的で、日本の名写真家の一人として名高い綿引幸造氏とアシスタントの廣田隆之氏が6月の上旬六日間の予定でシアトル入りをした。
シアトル訪問の目的は、今世紀のアメリカを代表する彫刻家イサム・ノグチ作品の写真集の撮影の為であった。札幌テレビ局開局四十周年を記念してイサム・ノグチの写真集が発刊されるのだ。ノグチは、広島の平和公園を象徴する原爆の像の制作者として、そして女優山口淑子の初婚の相手として日本人にも馴染みが深い。数々の作品は全米の主要都市のみならずイスラエルの彫刻の丘をも飾るものである。
シアトル市には、フェデラル・ビルディング前(セコンド・Ave側)の“ランドスケープ”とボランティア・パークのアジア美術館前の“ブラック・サン”の二点がある。 全米45日間のロケハン旅行の最終目的地として、シアトル入りした綿引幸造氏は、たった二点の撮影の為に六日間もの日程で当地を訪れたのであった。
撮影は、早朝から夕暮れ時までの長い間、カメラをセットしたまま、光と陰、雲の形や位置そして色、空の色、背景の木立や葉の状況等、条件の変化に合わせて撮り続けるものであった。さながら釣り人の風情? 然しそれは大きく異なっていた。 所詮釣りは遊びでしかないが、撮影は真剣勝負。写真集の中では、僅か二カットしか選択されないものの為にこのハード・スケデュ-ルを滞在中繰り返したのだ。日本を代表する世界の写真家、綿引幸造プロの厳しをそこに垣間みることができた。この記事が活字になる頃は、イスラエルの丘で朝から晩までかノグチの作品と対峙していることであろう。
綿引幸造氏は、写真集“知床”や“陶芸家安田寛の世界”で知られている。更には、マーラーの生誕記念日には、イタリア政府の主催で、毎年イタリアのマーラー記念館において、綿引幸造の大地のうた”と題した個展“が催されるほどの実力者だ。
6/27/97