ボスは迷文家シリーズ


Vol.37

ノー天インタビューアー


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マライア・キャリーの日本公演があった。テレビを観ていて、インタビューの内容が余りにも酷かったので、僕は愕然となり恥ずかしくて仕方がなかった。内容は次の通り、括弧の中は僕のその時の独り言。マライアも同じ印象だったと、彼女の顔や身体の反応に出ていました。ところが、インタビューアーは、ノー天あほ馬鹿、ゼンゼン分かってないって感じなのです。

インタビューアー
"二年前から髪型を変えましたね?"(それがどうしたってんだ、このアホ!)

マライヤ
戸惑って
"だったら貴方は、二年前から変えないのですか? 貴方だって変えるでしょう?"(マライヤの為の代弁:二年前より声が良くなったけど、 発声方法は変わったのですか?ぐらいを質問してみたらどうなの、このオタンコナス!!プンプン)。気を取り直して続く、
"私はおでこが広いので、、、"

インタビューアー
"私の髪型はどう思いますか" (馬鹿かこの女はと僕は思った)

マライヤ再び戸惑って、"素敵よ、、、"
(それ以上何って言って欲しいの、私の趣味ではないわ!が本心だけど、、)

インタビューアー
"日本で今いち番人気のあるアムロ・ナミエちゃんが、二年前にマライアが来日した時にバックで踊ったサム(日本人の癖にサムとは何だ!)と結婚するんだけど、一言どうぞ?"
(マライヤとはカンケエねえだろうが、このハクチ女)
(マライヤ:私はこんな馬鹿な質問に答える為にこの席に座ってるの?)

マライヤ
慣れてきたもののまだまだ戸惑って、これも商売と自分に言い聞かせて、キレない様に(細い身−太身でなく−で辛抱に耐えている時の女は、なんとも愛しくて抱きしめたくなる)
"アムロ????(誰それ?)、、、(とにかく)オメデトウ!、サムは以前一緒に仕事をしたけど、とても良かったわ"
これでサムは国際的に認められて日本人はサムを誇りに思うことになるのです。そうブタも煽てりゃ木に登るという、あれです−僕もけっこう頻繁に登ります。)

インタビューアー、空港にて
ゲートに向かうマライヤをつかまえて、"日本どうでしたかあ?"
(こういう場合、悪かったなんていう答えがないので馬鹿な質問、それよりも、思った通りの公演が出来ましたか?とかもう少し気がきいたことを質問できないのか?)

マライヤ戸惑いで黒帯を獲得したマライヤは上手く流して
"良かったわよ、、"
("アンタみたいな馬鹿ばかりで、僻へきだわーっ"て答えるべきだったのだろうか)

インタビューアー"日本人をどう思いますか?"
(最後まで泣かせるな、この白痴呆おんな!)
(マライヤは日本人に閉口していたので、これも上手く躱して)
"フアンの皆さんは声援してくれて良かった、、"と無難な答え。
(敢えて"日本人"と答えずに、"ファンは"としたこの言葉の裏に隠れた不満の気持ちを、インタビューアーには読むことができない)

インタビューアー
"皆さあん、マライヤは日本のファンが好きだって言ってくれましたあ!"
(、、、とノー天ぶり、、、内心、ああやっとこれで日本から離れられるわ)

確かたったのこれだけだったのですが、英語の実力もこの質問内容の貧弱さと何ら変わることのない最低。僕は、観ていてとても自分が恥ずかしくなり、思わず穴を探してしまったくらい。でも僕はけっこう図体がでかいので、そんな穴はめったやたら見つけることができません。そこでこのインタビュアーの英語の力や日常感じることから、英語についてエッセイを書きます。


その英語なんとかなりませんか

大学留学で身につけた英語だけを英語と思わないことです。 アメリカは日本よりも階級意識の高い社会を構成しております。日本と同じようにアメリカでも、相手によって言葉の使い方が変わります。ところが多くの人は、自由の国アメリカは何でもカジュアルだと、勝手に誤解していることが多いようです。大学留学生の英語は大学生言葉。短期語学留学生は意志の疎通(というよりも旅行買い物そして簡単な挨拶)がなんとか出来ればそれで満足、といったレベルの英語です。決して悪いことではありません。それ以上できないことは仕方がないです。でも、そういった程度の英語をそのまま、より高度なビジネスの場で使用すると、無理が出てきます。ここではその点に絞って説明をします。

次のカタカナ言葉は、日常の話し方の違いを崩れ言葉を使って説明する為に書いたものです。実際の発音にはかなり近づいて書いたつもりです。 トゥ: 消去音で短くトとツの間の音ハバ: バは軽く下唇を噛んで消去音で短くバ・ブではありませんサム: ムとンを合わせた感じで短くサンと言いながらム音の閉音だけ加えるカォーフィ: カォはコに近い音で、フィは軽く下唇を噛んで

分かりやすく説明します。 シカゴ以東の街のガス・ステーションでフル・サービスを受ける時、車の程度によってサービス員の言葉が変わります。客は貴方、新車のメルセデスで品の良いスーツで颯爽とガス・ステーションへ乗り付ける。この時のサービス員の態度は、微笑みをたたえ乍らも顔は厳しく"イエッサー"。新車のメルセデスで品の良いカジュアル・スーツだと顔も少しは緩んで、それでも"イエッサー"。 新車のカローラだとスーツを着ていても途端に態度も崩れて"ホワット・キャナイ・ドゥー・フォユー?" ポンコツ車だと同レベルに見られて"ヘイ・バディー、ウォン・サム・ギャス?"この様にそれが見た目(アメリカは見た目‐プレゼンテーションの国です)で、サービス員の態度が相手の見てくれに応じて、がらりと変わるのです。極端な例ではありますが、この様な違いがあるんだということはご理解願える筈です。

留学生が身につける英語はだいたいが"ヘイ・バディー、ウォン・サム・ギャス?"のレベル。日本でも高校生や大学生の話し言葉はこんな感じですね? "英語は僕に任せてください、なあんたってアメリカの大学を卒業したのですから" たしかに彼等の英語は確かに日本人の駐在員よりもずっと上手です。でもカローラとポンコツ車の間の英語の場合が多いのです。日本人の駐在員は上がカローラで下がポンコツ車といった程度です。でも親の長あ〜い駐在の果に大学まで十年間はアメリカの学校という帰国子女は、その辺をきちんと弁えております。アメリカの大学生が卒業後に勤め始めると学生言葉から社会人言葉に切り替える様に。ところが留学しただけだと、学生言葉をそのまま日本に持ち帰って仕事で使う人が多く目立ちます。

"ヘイ・バディー、ウォン・サム・ギャス?"が悪いことはありません。話し相手や状況がそれ向きの時にはそう話すのです。でもそれが許される英語である!と信じて、ビジネスの場で、取引先の社長(相手の格が上の場合)に"ヘイ・バディー"とは、いくら誰だってやりません。でも取引先の社長はこちらの格や年が下の場合は、こちらをリラックスさせる為に、"ヘイ・バディー"とやってくれます。これを耳にして次に会った時にこちらから"ヘイ・バディー"とやって許されるものではありません。ある程度の見識をもった人には分かることですが、この違いを理解しないまま、礼に欠ける英語を使っているビジネスマンや元留学生が数多くおります。マライヤをインタビューした、あの恐るべきインタビューアーの英語もこの"ハウユゥドゥーイン?"英語で、それもブロークン英語。しかし"ヘイ・バディー"も時、状況、そして親密度によっては、その方が場にあっていることもあります。わきまえが肝心です。

"ウッジュウ・ライク・トゥ・ハバ・サム、カォーフィ?"と早い話が"コーヒーを召し上がりますか"と聞くべきところを、"ユウ・ウォン・サム・カォーヒー?"の様に"コーヒー飲む?"をやってしまうのです。こういう喋り方をしても許される相手と、許されない相手の見極めがつかないのか、ここまで言うことが精一杯なのか、、、。時、場所、相手によっては聞きづらいのです。

こういったことが日本人だからといって許容される場合と、そうでなくマイナス・イメージとして受け止められる場合があります。相手がキレないのは、話し手が英語を母国語としていないことを理解しているからか、これはビジネスなんだと自分に言い聞かせて割り切ろうとしているからか、相手に親しみが持てるからとか、最初から寛容からだからなのか、色々です。

考えてみてください、日本のビジネスの場で、例えばアフリカ人の元留学生が、ブロークンな日本語で、"オマエ、コレ買うか?"の様に、"オマエ"とか"、、か"と言った時には、日本人だったら誰でも戸惑いますね。"ガイジン(差別語)"だから仕方がないと最初は思っても、何度も聞いているうちに腹が立つ人と、"俺もう慣れちゃったよ"言う人と二通りいると思います。でも言い手にとっては損なイメージを与えていることは確かです。

僕は、多くの日本人がこのアフリカ人による日本語の英語版をやっている現場を、何度も目のあたりにしています。母国語ではないから仕方がない、日本人で喋れるんだからそれだけで良いじゃあないか、まあそういう事なのでしょうけど、、、。僕に言わせれば、少なくとも英悟を業として職を持つのだったなら、もう少し英悟の勉強に精進すべきではないか、"と思うのです。

2/5/98

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