ボスは迷文家シリーズ


Vol.39

傍若無人にタバコを吸っていた自分


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1970年の初夏にアメリカへ渡り、オレゴンで僕はオレゴン大学の教授と親しくなり、彼の家に頻繁に招かれました。週末には教授の家族と共に過ごすことも度々。留学したばかりの年のことでしたが、その頃の僕はヘビースモーカー。そんな僕は、招かれては教授宅で傍若無人に煙草を吸っておりました。もちろんドライブに一緒させて貰ってその車の中でも吸いました。でも一つのきっかけで、僕は自分の喫煙に対して大きな衝撃を受けたのです。それ以来、煙草は吸っておりません。その衝撃で煙草が他人に対して迷惑であると初めて知ったのです。

留学中、貧乏でもタバコだけにはお金が出てきました。当時はウインストンが一カートンで二ドル七十セント、ガソリンが一ガロンで二十四セントの頃。僕は知り合いのカナダ人から貰った古いジッポーの灯油ライターを使って、ウインストンを吸うのです。教授の家に呼ばれる度に、許しを乞うこともせずに勝手にタバコをとりだして、、。すると教授の奥さんが厭な顔一つせずに小皿(灰皿でなく)を出してくれたものでした。僕はそんな時、サンキュウなんて言っていい気になって吸い続けたのです。家の人がタバコの臭いや煙を嫌うのでは?そんなことも気にせずに。教授宅には子供が三人おりましたが、僕は平然と吸い続けました。

ある日、留学も七〜八ヶ月も経った頃、その日も教授宅で僕はソファーに座っておりました。煙草が小さな取り皿の上で燻っています。その時、僕の身体に纏わりついていた教授の一番下の子レスリーが急にむせ始めたのです。彼が僕のタバコの煙に咽たのはこ時が始めてというのではなく、それまでにも頻繁にあったこと。でも、この日の僕は(何故だか分からないのですが)凄い衝撃を覚えました。"タバコで咽ているんだ! 僕は平気で煙草を吸っている! 何と恥ずかしいことか!家族から僕はこんなに良くしてもらっているのに!" そこで僕が胸に受けた衝撃は大きく、一切をその時に悟ったような、そんな感じでした。衝撃は僕を嫌悪感で悩ませるほど大きく、無神経に煙草を吸い続けていた僕にタバコをやめさせるほど。これでやっと禁煙ができたのです。その前には何度も喫煙をやめようと、ライターや煙草のカートンを棄てたり、、。でも意志が弱くて禁煙が続いたことは一度もなかったのです。この衝撃のお陰で、それ以来タバコを吸ったことがありません。1971年二十三歳でした。

他人の迷惑を顧みずに傍若無人にタバコを吸っていたことが、僕には大きな恥に感じられました。この頃のアメリカではタバコを吸う人も多かったのですが、注意をして見ていると、タバコを吸わない人の前では、喫煙家のアメリカ人たちは遠慮をして吸わないのです。ましてや子供が廻りにいる時などは、子供たちから離れて吸うほどでした。現在では、自分の家の中で吸わずに外で吸う人の方が多いくらいです。西海岸よりも東海岸や南部の方が多くの喫煙者は見かけますが、然し全米中どこへ行っても、スポーツ人、知識人、頭脳労働者、見識が高いと見られている人たち(道徳家そして教育者を含めて)の間では、喫煙者は皆無に等しいほど。ところが日本では、道徳家や教育の現場に携わる人たちまでが重傷の煙草者です。"アメリカの教育の現場では信じられないことだ"とコメントをしていたアメリカ人がいました。

僕はマナーある喫煙をしてくれる日本人に出会うと嬉しくなります。洗練された人ほど非喫煙者への気配りがあります。然しこういうマナーが、殆どの日本の(特に日本で)喫煙家たちにはありません。タバコを口に咥えて煙たそうに顔をしかめ乍ら、赤子を抱く日本の"良い"叔父さん、おじいちゃん、そしてご近所さんたち。気配りの日本人とよく言われますが、これでは日本人が自己宣伝で、勝手にそう言っているに過ぎないのではないかと思わせるほどです。

僕の頃には成人のお祝いに、煙草を吸わない若者でもライターを贈られるほどでした。あの頃は大人になったら煙草は吸うものという空気がありました。煙草は大人の特権という認識もありました。喫煙の様に悪いことは大人になってからにしなさい。青少年は煙草の様な悪いことはせずに、勉強に励みなさい。煙草なんかは不良のすることです。そういうことでした。

タバコを吸うから悪い人、吸わないから良い人ということはありません。実際には、健康に気を遣ってタバコを吸わないマフィアだっているくらいですから、、、映画の中だけだったかもしれませんが。だから困ってしまうのです。タバコを吸う人間がみんな悪人だったら簡単。ただ会わなければ良いのです。実際に僕はヘビースモーカーの友人とは会いません。然し実際にはそうでないので、、、。だけど、一つだけはハッキリと言うことができます。他人への迷惑も顧みずにタバコを吸う人に、他人の無礼を咎める資格はないと。側迷惑という認識の乏しい人間が、他人を咎めるのは身勝手も甚だしいということです。

煙草の害は、ある意味において麻薬以上に悪いものだと思います。麻薬は本人の身体が冒されるだけで自業自得ですが、煙草は周辺の人たちに二次喫煙を強いるからです。煙草を吸わない麻雀の愛好家が、二次喫煙で肺癌に死んだという話も耳にします。日本へ行くと、煙草の厭な臭いが衣服にしみ込んで、それでホテルの狭い部屋までもが臭くて我慢ならなくなります。"死ぬ時は皆おなじなんだから、、、"。これは喫煙家たちの常套句、即、決まり文句です。何度も耳にしました。一字一句まで同じです。煙草は害であるという認識をもっているからこそ、そして死が身近にないからこそ、こういった言葉が出るのです。僕だって二次喫煙で死ぬ恐れがあること自体は、余りピンときません。厭なことは、空気中に漂う煙りとニコチンの鋭い刺激、そして衣服にこびりつく臭いだけです。 もう少し傍迷惑を考えてマナーをもってもらいたい!というだけなのです。別に禁煙をしてくれと頼むものでもありません。"死ぬ時はおなじ"、そう言って開き直って勝手に死んでくれるのは、僕の知ったことでもないのですが、迷惑がゴメンということだけなのです。やはり、"何とか"は死ななきゃ直らないのでしょうか。

2/20/98

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