ボスは迷文家シリーズ |
差別と不安心理の因果関係
入居拒否で三十万ドルの賠償 ― 米のアジア系学生勝訴 北米報知新聞 2/25/98 スタンフォード大学に通うアジア系学生五人が、家を借りる際に人種差別を受けたとして、損害賠償を求めていた訴訟で、家主側が三十万ドル(五千四百万円)を支払うことで和解が成立した。 五人は家を借りるため、家主側から家の中を案内してもらったが、途中で白人でないからという理由で追い出された、、、、。「住めるのは白人の米国人だけ」「自分の家に帰れ」「お前たちはこの国を駄目にした」と叫んで彼等は追い返された。五人を支援した市民団体の代表は「傷ついた感情はお金では癒すことができないが、人種差別が許されてならないことを、改めて示したことの意義はあった」と話している。 アジア系学生増えUCで緊張 Hostility, racism surface 上の二つの記事は、夫々北米報知2月25日付とサンノゼ・マーキュリー・ニューズ紙,2月23日で見つけた。因みにサンノゼ市は、スタンフォード大学があるパルアルト市の南にある。 これらの事件は"異質性の強い顕示による差別"と思われるが、北米報知の記事には社会心理学的に興味深い点がふたつある:1.家主はテナントが白人でないことが分かっていながら、家の中の案内を引き受けた。 経緯から推測する限り、この家主は: 家主は家を案内することには、躊躇をしなかった。ところが、案内を続けるにしたがって、「住めるのは白人だけだ」と叫んでアジア人たちを追い出してしまった。 この原因を僕は次の様に推測する: 差別には能動的的差別と受動的差別の二通りあるが、双方に共通していることは、異質性に起因する不安感に対し、差別という形をとって自己防御をする点である。この事件は、普段はアジア的異質性の顕示に慣れている(寛容である)カリフォルニアの住民が、五人を案内をし乍ら異質に起因する不安感を急速につのらせてパニック状態におちいり、冷静な判断(寛容)を失ってしまったものと思える。「住めるのは白人の米国人だけ」「自分の家に帰れ」「お前たちはこの国を駄目にした」。 これらの一連の発言が案内の途中で出たということは、家主がパニック状態にあった可能性を示唆している。「住めるのは白人の米国人だけ」との発言は、この場合インド・ヨーロッパ言語系白アジア人を排除するものだ。 異質があれば差別もありうるし、そして偏見も育つ。そう思って良い。それが寛容の範囲内でとどまるか、又は現実に差別というかたちになるかは、異質性の程度の問題である。人種間の場合は、異質性が際立って顕著に分かるので、差別がおきやすい。村上春樹氏の"やがて悲しき外国語"という本に、ホノルル・マラソンの二万人からなる参加者の内、過半数(一万二千人)が日本から参加する日本人、地元のアメリカ人たちは日本人に対して拒絶反応を示し始めたと書いてある。これは、人種的異質性の顕示が高まった例である。 詳しくは、僕が最近書いた小論文"差別と偏見―社会学的考察"に"異質性の顕示による差別"の説明が書かれている。 参考までに、僕の知り合いの黒人は、東京でアパートを借りることができず、日本人友人にアパートを借りてもらってそこに移り込んだ。つい最近の話。僕が家族で1983年にシカゴ市の郊外のグレンビューという排他的なアッパークラスの街に移った時、当時小学校四年生の長女を迎え入れるにあたって、編入先の校長先生自らが校門で娘を温かく出迎えてくれた。この街はハーバードへの入学率が、全米トップで、教員になる為に修士号あるいは博士号が要求されるという学校地区だ。ここでは僕らが納税者であるかどうかすら問題外であった。ところが、二十一世紀目前にした今日の日本では、法の下で歴然とした差別が存在していて、朝日新聞社説は教育の現場での差別を次の様に報告している。 「なぜ国立大は門を開けない」 朝日新聞 3月1日付社説
サンノゼ・マーキュリー・ニューズ紙, 2月23日
アジア系の学生が、カリフォルニア大学の37パーセントを占め、1980年の構成の2倍以上なった。このアンバランスに対して反発も強まり、サンディエゴ校からバークレー校までの各校で感情的な事件が相次いでいる。
2.途中になってから白人ではないからという理由で追い出した。
3.アジア系に対して偏見をもっていた。(偏見自体は自然な心理状態である)
4.人種的な差異に対しては日常的には寛容(偏見)である。 (カリフォルニアには、他民族が多く集まっているので、人種的な差異には慣れている=寛容)。
5.人種差別が法律違反であることを理解している。(これを理解していないアメリカ人はいない)
6.案内中にアジア系学生五人から継続的な強い"アジア的異質性"が顕示された。
7.継続する強い異質性の顕示に対し、強いDiscomfort(不安に基づいて落ち着きを失う)を感じた。
8.強いDiscomfortが、自己防御を呼び起こした。
9.思いつめた家主は瞬時に強迫心理(パニック)状態におち入った。そして客観性を失った。
「、、、、日弁連はこうした取り扱いを、「重大な人権侵害であり、子どもに自国の文化による教育を受ける権利を保障した国際条約にも違反する」と判断した。そのうえで、朝鮮学校と一定の要件を満たした外国人学校に「一条校」と同等の資格を認めるよう、首相や文相らに求めている。
文部省の「入学させるな」という指導をよそに、公立大学と私立大学の半数以上は、すでに門戸を開いている。国立大学への受験制限がいかに不合理な措置か、、、。
大学人の良心も問われている。 昨年、朝鮮学校の生徒が国立大学8校に出願資格認定を申請したが、いずれも認められなかった。
公立はよくて、なぜ国立はだめなのか。長年の懸案なのに、これまで手をこまぬいてきたのはどうしてなのか。各大学の学長、とりわけ歴代協会長を務めた東大、京大、一橋大のトップには、納得できる説明をしてもらいたい。
同化を迫るのではなく、お互いの文化や価値観を知り、認め合う。それによって子どもたちも、それぞれ人間的に成長する。文部省が唱える国際化時代の教育とは、そういうものではなかったか」。