ボスは迷文家シリーズ


Vol. 68

同時通訳の仕事



人生回廊 こころ 天窓>◆米原万里さん(ロシア語同時通訳) ◇「三角形」で全体像が見える◇

通訳は話し手の口となり聞き手の耳となって、自分というものを押し殺していくような面がある。本来自分の思想や感情を整理したり伝えたりするためにあるはずの言語駆使能力を一時的ではあれ、他人様に従属させなくてはならない。自己表現を求めてやまないタチの私には全く不向きな商売、天職に出会うまでの仮の姿のつもりだった。

それが二十年も続いたのは、ある時、通訳する両者の立場をそれぞれ小宇宙とみなせば、狭量な自我が、この二つの異なる小宇宙をつなげる、より広大な宇宙に浮上するような快感があるのに気付いたからだ。世の中にはいろいろな考え方があって、どの考えも対等。様々な考え方の型そのものを楽しむ余裕も出てきた。己と他者、そして
もう一つ、両者を相対化するものによってつくられる三角形の発見だ。


この三角形は、窮地に陥ったり、ものを考えていくときの基本となった。対立であれ、協調であれ、二者間の関係は直線である。折れやすく、逃げ場がない。その点、三角形は非常に安定している。たとえば、外国語の学習も、一か国語だけよりも、二か国語同時に学んだ方が、楽だし面白い。母語と違って意識的に身につける外国語は絶対化しがち。第二外国語を知って初めて母語も第一外国語も第二外国語そのものも突き放され、全体像が見えてくる。つまり征服しやすくなる。

異文化も三角形ができると世界が立体的で面白くなる。一つの外国、しかも世界最強の超大国しか目に映らないと、ついその「グローバリズム」とやらに縛られる。 もう一つ、対置できる文化を心に持つことで、常識や権威を、まずは疑ってみることが属性になる。より自由な魂を維持できるということである。
(4月28日9:30)

以上は、本日インターネットで見つけた読売新聞のコラム記事です。面白いことに、彼女はこう言っています。 「もう一つ、対置できる文化を心に持つことで、常識や権威を、まずは疑ってみることが属性になる。より自由な魂を維持できるということである」。このことは、僕も常々観じていることです。

「自己表現を求めてやまないタチの私には全く不向きな商売」。僕が下のエッセイで同じことを書いています。
「性格にもよるが、僕には通訳を本職とすることを勧めることが出来ない。通訳はあくまでも第三者なのだ。黒子に徹しなければならない役。当事者(第一者と第二者)同士の意志疎通が可能ならば要らない仕事。討議内容に自己主張の出来ない仕事でもある。僕向きの仕事ではないことは、僕を知っている人ならば分かってもらえるだろう。


なにしろ僕くらい自己主張の強い人間はいないのだから。仮に僕が煙草メーカーの通訳なんかやったら大変だ。売り手が健康的な煙草と言っているだけなのに、僕は、"やはり煙草は不健康です"、なんて余計なことを付け加えてしまうだろう。通訳とは、自分(性格)を出してはならない、即、性格的な参加をしてはならない淋しい仕事。だから勧めることができない」。



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