ボスは迷文家シリーズ |
サービス業におけるプロ意識の不足
“ゴキブリ算”的に繁殖する携帯電話
ペルー大統領に見る政治家のリーダーシップ
どんなに安い店でも、アメリカ人経営のレストランへ入ると、ウエイトレスやウエイターのプロ意識の高さに関心させられることが多い。笑顔で行き届いたサービスを施す。 それによってチップの額も増えるからでもあるし、それを出来る者だけがその仕事につく。 アルバイトの学生であっても、その意識をしっかりと持って働いている。 そういったプロ意識をマネージャーが求め、そのように従業員教育もする。 どんな業種であっても、サービス業である限り、この専門職からのサービスに対する報酬として、客は代金の支払をして、チップも手渡すのだ。
ところが、日本食のレストランへ入った途端に、そのサービスの低さにはがっかりさせられることが多い。それどころか、そのくせチップだけは期待するウエイトレスたちの態度に怒りさえ感じることがある。 チップとは、サービスの程度に従って渡されるものだ。 その点すら理解されていない。 これは、まさに従業員教育が徹底されていないか、管理不行き届きでもある。 ウエイトレス達のプロ意識の低さは指摘するまでもない。 勿論のこと、全ての日本レストランについてあてはまることではない。 この点だけは断っておかねばならない。
つい最近の話し、東京は箱崎のシティーターミナルで、台北行きのNW便へのチェックインをすることができなかった。パスポートの有効期限が六ヶ月ないと、入国が許されないとのことがその理由。この経緯を、台湾で会う予定にしていた日本の取引先や知合いに伝えたところ、パスポート有効期限の知識をもたない人は、誰ひとりとしていなかった。 彼等は、台湾行きの切符手配を依頼する度に、旅行代理店(日本在)からパスポートの有効期限を代理店からチェックされているのだ。 ところが当地シアトルで僕が利用している代理店では、そういう知識すらなかった。それどころか、シアトルに戻ってから、この件を伝えても“知りませんでした”の一言で気にもとめてもらえなかった。 日本人経営の代理店とはいえ、アメリカ的といえばアメリカ的。でも、実際には、専門職としての知識不足、即ち業務の怠慢としか思えななかった。 云わんやプロ意識の欠如たるや話しにもならない。
この代理店を通じて手配された切符での不手際は、過去にも何度かあって、けっして今回が初めてではなかった。 一時が万事、こちらから話しをもちださない限り、ホテルやレンタカー手配の必要性すらチェックしない。 アメリカ人経営の店もふくめて他の代理店も数件トライしてみたこともある。 ところが、ほとんどが大なり小なり皆おなじ。 それでも僕は、シアトルの代理店は、どこもみな同じとは思ってはいないし、そう思いたくもない。
専門職である以上、サービスとはただフレンドリー(笑顔さえ見せないウエイトレスも多いが)であれば良いというものでもない。 殆どの客達は寛容であるか、または慣れてしまっているので、多くを期待もせず気にしないのだろう。 然し、それに胡座をかいていても良いというものでもあるまい。
5-3-97
これからは「いま電車、今日どうしたあ?」といった様な、どうでもよい様な内容の電話によって煩わされることもなくなりそうだ。 電車内で携帯電話の使用を規制する為のアナウンスメントが流れるようになった、という。 これで、日本出張の度に感じる、無神経な携帯電話によるイライラも、少しくらいはおさまるだろう。
当然のことながら、愛用者の間からは 「便利なモノをなぜ規制するのか」といった反論があった様子だ。ビジネス個人を問わず、緊急ならば寛容も保てる。 しかし何と言っても、他人にとっては、“傍迷惑なモノ”であることには変わりがないのだ。 そういったことが理解されていない。規制をされてさえもなお、こういった迷惑に気がつかないとは、「精神的未熟性ここに極まり」、といった感すらある。携帯電話の“繁殖”ぶりは、ネズミ算どころか、まさにそれは“ゴキブリ”の“増殖”を彷彿させるようでもある。
電話での無駄話しに時間を費やすよりも、他に有意義な一日をおくる人たちも多くいる。それなのに、わざわざ電話を片手に得意になっているとは、、、。 買物狂やブランド信仰と同レベルのヒステリアさえ感じさせる。 思いやりの深い大人達は、皆がみな口をそろえて、「平和なんだ」と理解者をよそぶって説明。 だけど果たしてその通りなのだろうか。思考がきちんと機能をしなくなった現象を「平和」といって、全てを許そうとすること自体に思考の曖昧さがあるではなかろうか。そんな一億総よそぶった日本だから、携帯電話がこんなにも「増殖」するのであろう。
こうしたことから、日本中の街角や路上そして駅のホームには、ところ構わず電話に耳にあてている人達が溢れている。 この図は、まさに調和や美観を無視して並び立つ自動販売機の様に無節操であり、醜態である。 こういった滑稽さをテーマに、コミカルな香港映画なんかを製作してみたら面白いだろう。 でも、その滑稽さを笑うことができるのは欧米人のみで、今では少数派になりつつある日本の常識人はそれによって心の痛みを感じ取るだけだ。 軽薄人種たちにとってみれば、自分達が笑いの対象になっていることすら理解出来ないであろう。それは、アメリカに長く住み、日本からの海外旅行者や多くの語学留学生たちを観察していると、この点を良く理解することができる。彼等の多くは、行く先々で無意識に軽薄日本人を演じている。 携帯電話の軽薄加減もその姿とあまり変わることががない。
5-6-97
日本大使公邸人質事件が百二十七日目に解決された。ペルーのフジモリ大統領が直接指揮を行い、見事な作戦の下、救出作戦を大成功させた。フジモリ大統領の手腕の見事さに世界は驚嘆し、最大の称賛を送ったのである。この間、フジモリ大統領は不眠不休でテロリストと対峙し、一歩も引かずに当初の姿勢を貫き通した。果たしてこの様な場合、日本の政治家にも同様なリーダーシップが期待できるのであろうか、危機に陥ったときに「なにぶん慣れないことなので」では済まされないのだ。
日本国はかつてダッカ事件で、テロリストの要求に従って収監中の凶悪犯を釈放し、世界の顰蹙をかったことがある。そのときの所見が「人の命は地球より重い」であった。世界の人々がテロリズムと戦い、自国の安全と人命を守るために努力しているときに、日和見的な人道主義の建前の下に、日本政府は法の尊厳と日本人の名誉を傷つけた。人の命を救うために凶悪犯を釈放し、新たな殺人を引き起こすことになるのは目に見えていた。自国の国民の命は地球より重かったが、釈放後に、テロリストの手で殺されるであろう他国の人の命は、ひとかけらの重要性もないことを世界に宣言したのである。 アメリカやドイツのどこの国でも、テロリストに対して絶対に譲歩しないことで、自らの命や財産を守ってきた。
一方、テロリスト、誘拐犯に譲歩を繰り返してきた日本人は今後とも政治的、営利的な目的のために危機にさらされることになる。その度に他力本願の金頼みを続けることになる。こうなれば、どうぞお金のためには日本人を人質にしてくださいと世界のテロリストに推薦しているようなものである。日本には偽善者が多くいて、平和主義とか人道主義といった旗印の下に、国民としての義務や国家としての義務の遂行から逃れようとしている。 与野党を含めて言論人そしてマスコミの全てがそうだ。 だから、この度の様な事件の時には、フジモリ大統領の腰を砕く様な発言や支援しかできない。 余り過激なことを言って、批判されることが怖いだけでなく、具体的な行動(為政)ができないのだ。 人道主義を看板にして、お金だけを出していれば許されると勘違いをしている。
日本の野党は、もっともらしい批判はするが、英語でいうところのProcurement、即、目的実現の為の義務の遂行ができない。出来ないというよりも方法論すらもたず、ただ反対の為の反対、そして批判の為の批判にしかエネルギーをそそがない。 社会党が良い例ではないか。政権をとる前はもっともらしく政府の批判をしていても、政権をとった途端に能力の無さをまるだしにした。僕はなにも現行の政府与党に肩をもつわけではない。理想の追求をコアとした具体論の実現が政治である、と言いたいだけなのだ。 共産党にしても社会党にしても、与党の利権政治にブレーキをかける上ではそれなりの存在価値はある。 だけど、理想のみを武器とした彼等には具体論に欠ける。 だから、ブレーキとしての役割以上の力は、期待がもてないのである。 勿論、ペルー事件への橋本内閣の対応には、問題解決の上での国家的決意すら感じ取ることが出来なかった。 なにも野党だけが駄目なのではない。
日系人ということで、フジモト大統領に日本に戻ってもらい、日本のリーダーとなってもらったらどうだろうか。 そうすれば、この国も少しは良くなってゆくだろう。 ペルーの様な、犯罪や貧困という大きな社会問題を抱えた国では、理想は理想としてもち続け乍らも、現実的な具体策を打ち出さなかったら、政治は成り立たないのだ。 逆に言えば、リーダーシップの資質をそなえていないと政治の場では、受け入れられないと解釈することも出来る。
橋本内閣もマスコミも人道主義という逃げ場をもっての論調を続けた。 確かに人質の命を救うために、テロリストに降伏することは最もてっとり早いであろう。かつて、ソ連が攻めてきたら赤旗と白旗を振って降伏すればよいと主張した知識人がいた。 然し、降伏によって国民の生命財産が守られるのでなかったなら、降伏とは財産没収と搾取の危険しか意味しない。今回の事件は、日本国に対する戦争ではなかったのか? 然し「平和的解決」を望む日本側にはそのような認識がなかった。では何故国家を形成しているのであろうか。 国家は我々が維持し、そして繁栄さるために組識されているのである。従って、それを放棄することは国家を放棄することになるのだ。即ち、国家が主権を維持することは核心的価値を守ることであり、これは戦争であろうとゲリラとの戦いであろうと同じである。
これまでの日本はあまりにも国家の核心的問題に無頓着でありすぎた。 アメリカの擁護の下に築き上げられた平和に浸り、危機意識を喪失してしまったのだ。今回の事件で示されたフジモリ大統領の毅然とした主張に、リーダーの姿を見たのは、僕だけではなかろう。 きれいごとを言う国際社会に挟まれて、孤立無援であったきらいすら感じられた。 内政問題の現実も理解しないまま、外野席から見ているだけで平和的解決を!と、求めること自体が、無責任であるとしか言いようがない。フジモト大統領には、彼等の要請が偽善者の声としか聞こえなかったであろう。
小野沢昭志
5-8-97