ボスは迷文家シリーズ


Vol. 90

コミュニケーション術とロジックス(論理)

昔から日本人には、感情を操作する右(?)脳と理性を操作する左(?)脳を使い分けることを不得手とすると言われてきた。その典型的な例が最近観察された。 『11月18日付時事通信: ムーディーズ・インベスターズ・サービスが日本の国際などの格付けを一ランク引き下げたことについて、日本政府首脳は、「世界最大の債権国の日本に対して、債務国である米国が生意気なことをいうものではない。日本が持っている米国債を売ったらどうなると思っているのか」と述べ、格下げは不当と激しく反発した』 右脳革命という本を、書店で見たおぼえがあるが、日本政府はもっと、ロジックス(論理)とジェスチャー(演技)の黒幕が必要ではなかろうか。 

日本政府首脳は、理性と感情を混同した発言をした。「生意気なことを言うものではない」という言い方は感情的ではあれこそすれ、論理的な説得力をもたない。ましてや「世界最大の債権国の日本に対して、債務国である米国が、、」と言うことだけが精一杯の論理性なのだろうが、こんなのは論理の焦点からも外れている。こういう反応しかできない人達が日本政府のトップというのだから、お粗末と言う前に空恐ろしくなる。 

「世界最大の債権国の日本に対して、債務国である米国が、、」 これは「お前は学歴がないのだから、東大出ばかりの我々に向かって意見を述べてはいけないのだ」と言っているのと同じ様なもので、権威主義以外の何物でもなく、格付けの正当性を崩しうるだけの論理性をもたない。 経済基盤が崩れていくのを、手をこまねいて見ているだけの無能政治家たちだからこそ、こんな発言がでるのだろう。 「ハイ、私たちは馬鹿の集まりです」と公言しているようなものではないのか。 

日本が本当に反発したいのならば、もっと冷静に対応し、ムーディーズの評価の根拠や基準を一つひとつ調べ上げ、それらに対して反対論理を提出すればよい。米国社会とは、対立論理に反論の場を与える国である。その場で論理の通った反論を出し、挌付けの正当性を不当なものである、とすれば良いのだ。 「生意気だ」とか「債務国のくせに」、という反応が即座に出る様では、官僚主義や権威主義の丸出しではないか。 なんと情けないことであろうか。マックス・ウェーバーの「職業としての政治」を読んで欲しい。 

日本は、コミュニケーションの方法を、学校のカリキュラムに入れていない。いくら国語や英語の勉強をしても、この方法を身につけていないと、説得力のある討論や交渉ができない。 コミュニケーションの方法を身に付けている相手方に対して、感情的な反論しか出来ないようだと、交渉の場で勝取れるものが何もないだけでなく、相手との関係も損ねてしまう。アメリカ人からの要求には、論理的に立ち向かうことが原則なのだ。要求が通らなくても、論理的に納得させられればアメリカ人はおれる。それを間違って感情論でしか反論しないと、シコリだけが後に残ることになる。日本の右脳革命の第一歩は、コミュニケーション術やロジックス(論理)を教えることであろう。ロジックスにより、必然と左脳を使い分ける様とするからだ。 政府首脳にロジックス(論理)とジェスチャー(演技)がないのなら、その部分で補佐をしてくれる黒幕が必要であろう。ところが黒幕たるべき側近たちは、露払いしかできない。日本国民もこういった政治家としての資質(=真の意味での実力)をもった人を選ぶべきだ。

小野沢昭志 (11・20・98) 

> Date: Tue, 24 Nov 1998 02:46:03 +0900>

 コミュニケーション術とロジックスのお話ですが、総論は納得いくのですが、ちょっと納得がいかない部分もあります。 日本政府首脳の、「世界最大の債権国の日本に対して、債務国である米国が生意気なことをいうものではない。日本が持っている米国債を売ったらどうなると思っているのか」というのは、アメリカを攻撃するために発言したのではなくて、日本の評価に対して違和感を感じて根拠を示しただけなのですから、ひとつの正当な根拠ですよ。もっとも、彼らにはほんとうに債権を売り払うだけの勇気はないので、これは通用しないでしょう。今の状況で、将来のビジョンが示せない。 日本の政府もかなり馬鹿です。これは論理がどうのとかいう以前の問題で、高利貸から借金をするときに、「この次は、これこれこういうわけだから、すぐに返すアテがありますから」と説明できなければ、足もとを見られるて利子が高くなるのは当然ですよね。

でも、アメリカ合衆国政府だって理性で考えたら、やっぱり今の財政状況ではよい評価はできないと思うのです。

諸外国からの債権の上にあぐらをかいていることには変わりがないのですから。日本人にロジックが必要なように

アメリカ人にも倫理が必要だと思うのです。なんていうと大げさですね。ロジックが無いのは永田町の人々であって、倫理が無いのはワシントンとウォール街の人々だけですから。実際の日本人もアメリカ人もちゃんしていると思います。政治家や経済人がダメなのです。

> Date: Tue, 24 Nov 1998 02:46:03 +0900>

有り難うございました。 僕も同感です。但し、以上のエッセイで僕は日本人を総じてロジックがない、とか、アメリカが良くて日本は駄目だといっているものではありません。このエッセイのポイントは、ひと昔前に話題になった石原慎太郎の「NOといえる日本」ではありませんけれど、アメリカに反論する為には、感情的になるのではなく、反論材料を揃えた上で、きちんと論及しなければならないという点にあるのです。気をつけないと、すぐに一般論になってしまいますね。注意しなければなりません。

このエッセイで僕は、日本人にはロジックがないから馬鹿で、アメリカ人にはあるから彼等の方が優れていると言っているものではなく、論理の筋が通っていると、どんな強引な要求ですら跳ね返すことができるという点について書いたものです。実際に僕自身も、きちんと論理のとおる日本人を何人か知っています。「債務国のくせに生意気な!」というように感情的になるのも、計算された演技の一部としてならばまだしも、シチュエーションがそうでない時には、馬鹿にされるだけだと指摘したものです。アメリカでの商売の交渉は、それに至るまではキツネとタヌキの化かしあいの様です。オリジン(=考え方)の異なる異人種によって形成される契約社会ならではの特徴だと思います。日本の様な馴れ合いは希です。

僕の対アメリカの商売は、かれこれ30年近くにもなり、その半分の15年は滞米での商売。留学年数を入れると、約20年ちかくも米国に住んでいることになります。アメリカでは、誰も助けてくれません。全くの孤立無援の中で、自分自身を主張し、相手に印象づけて生きていくのです。常に商売相手と上手く利用し利用されながら、一人で生きる上での安全圏をつくってやってきました。このエッセイに書かれたことは、いわば、僕の三十年の対アメリカ人交渉経験に基づいたものであるといえます。

アメリカで、アメリカ人の企業を相手に商売をしていると、強引であったり難しい要求であったりいろいろとあります。相手方も会社の即利益に結びつくことをしないと、簡単に解雇されてしまうので必死です。これでは長期的な戦略はとりにくいですね。僕も最初の頃は強引に迫られただけで脅えていたものが、ある程度なれてくると、それはアメリカ人の演技でもありネゴシエーションのやり方でもある、ということに気づきはじめました。ところが、基本的には彼等には職がかかっているので必死なのです。いってみれば、後には引けない状況に担当者たちは立たされております。と同時に、そんな状況にあっても、彼等は論理的に証明されると折れます。これは、アメリカが契約社会であるが為の特質ですが、担当者としてもロジックスが通っていると、上司にからも納得してもらいやすいわけです。学生の頃は、いくらロジックスを通しても、僕の英語力のせいにされて逃げられた事すらありました。ここいら辺に演技力が要求されてくることになります。

日本政府は、こういったアメリカ人たちとの交渉になれておりません(本当は、充分に慣れていなければならないのですが)。 また、演出力もアメリカを前にしたら皆無に等しいほどです。然し、ムーディーズの評価は商売の交渉とは異なり、簡単に言えば基礎事実の判断(彼等の)の結果なのです。日本政府は、どんな基礎事実を使ったのか、又、評価基準は何なのかを調べれば、反論材料を揃えることができるのです。僕が政府の首脳だったら、ムーデーズの信憑性すらを覆すだけの調査をします。「生意気な!」という反応は、それが交渉上のジェスチャーとしての発言ならばともかくとしても、ムーディーズは交渉相手ではありません。日本国のレーティングをしただけなのです。反論としてすらも意味のない発言でした。 政府首脳にはロジックス(論理)とジェスチャー(演技)の黒幕が必要です。それが側近の仕事なのかもしれないが、彼等のメインの仕事は露払いだけだから無理なのかもしれません。無理ならば、ロジックス(論理)とジェスチャー(演技)の黒幕が必要です。その為には、

 

ここいらへんが、僕の言いたかったところです。 以前に書いたエッセイをお送りさせていただきます。 最後のパラグラフをお読みください。

 

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