ボスは迷文家シリーズ |
加害者日本人の心に蔓延する第二次大戦の被害者意識
知り合いの青柳さんから、「原爆の為に、日本人が戦争の被害者であったという意識が日本人の心を満たしていて、我々がその戦争の加害者であったという自覚が希薄になっている」というご指摘がありました。私も正にその通りだと思いました。
小泉首相による靖国神社参拝に関して、中国政府や韓国政府が抗議をすることは日本の内政を干渉するものだと思っておりましたが、これが日本人の傲慢であったと自分自身反省しました。インターネットで、戦争の経緯を調べていったら、いろいろと考えさせられたのです。近隣アジアの被害者たちにしてみれば、「おい待てよ、日本人に被害者をふるまって欲しくないね、日本人は加害者だったんだ」、という納得できない気持ちにさせられてしまうだろうという思いにたどりついたということです。当然、僕も日本人ですから、日本が戦争の加害国であったことは知っております。しかし、戦争時の経緯を意識して詳しく調べたことにより、日本人は加害者であったという認識をしっかりともつべきではないか、と反省の気持ちにさせられたのでした。一般日本人の心には、加害者意識がほぼ皆無なので、アジアの人たちが無理ばかりを言うように聞こえてしまうのではないかという疑問がわいてまいりました。
小泉さんが知覧で流した涙は本物であったと強く信じております。しかし、知覧で涙を流しただけでは、こと強制労働を強いられた朝鮮半島の人々や慰安婦などに関する限り、彼ら気持ちを逆撫でするだけではなかったのかと思えるのです。言葉の上で、彼らが受けた苦痛に謝罪するといくら言っても、それがリップサービスに聞こえたら、政治的には不出来だと思います。
第二次世界大戦の加害者の日本人の中に、加害者意識が欠落していて、被害者意識だけが強いのは面白い現象です。これは、軍国主義、空襲、苦しみ、原爆、そして敗戦などの苦しみが、日本人の心を被害者意識で満たしているのだと思いました。Email交信相手の青柳氏は、日本人の心の中には日本人が戦争の被害者であったという意識だけが強く残っていて、加害者であったという意識が全く無い。これは原爆の被害が余りにも大きかったからだろうと、手紙をよこしてくださいました。
日本人にとっての第二次世界大戦とは、家族の徴兵、食糧難、辛い生活、空襲、原爆といった被害の側のものでしかなく、アジア諸国を侵略し、強奪し、殺戮し、搾取したという加害者であった部分が欠落しているのです。全てを軍国主義の所為にして、自分達も被害者であったことだけを論じています。確かに、国民は被害者であったのですが、少なくとも我々が日本"国"という立場にたった時、同様な感傷で戦争を語ってそれが許されるものかな?と疑問に思えてしまいます。被害国の人たちにしてみれば感情を治めることができないということなのです。
日本人が加害者であったということを語る時、それを時の軍事主義に責任を転嫁している部分が我々の中に強くあると思います。時の知識人たちの多くは、多大東亜共栄圏(殖民地政策)を支持しておりました。これこそが、日本国民が加害者であった証明ではないでしょうか。国民は心の底で戦争を嫌っておりましたが、満州侵略をどれほど批判的にみていたのでしょうか。加害者意識はなかったのでしょうか。満州で一儲けを企んだ国民が多くいたことは、テレビドラマをみていてもわかります。
朝鮮半島の侵略に関してはどうだったのでしょうか。強制労働や慰安婦に関し、当時の国民の間に加害者意識はあったのでしょうか? 全てを戦争という特殊状況による狂気が為せる技として弁明することで我々は逃げすぎていないでしょうか。確かに多くの国民にとって軍事政権は不可抗力でした。だから「私達も被害者だったんです」とアジアの被害者に言っても彼らは納得しないのです。日本人は、我国が加害者の立場にあった事実から逃げることはできない筈です。しかし、現実はそうでなく、加害者意識の薄さは政治家の間にさえ蔓延しているものと見受けられるのです。この点に政治家たちが気がつけば、小泉さんは知覧で特攻隊の悲劇だけを知ろうとするのではなく、強制労働者や従軍慰安婦たちの悲しみをも日本国民に向けてアピールすべきだったのです。そうすれば、アジア諸国から信頼に値する人として見られたかもしれません。これこそがPolitically Correctな政治家のパフォーマンスなのです。小泉さんの誠意主義は新鮮でいいのですが、やはり国のリーダーなのですから、国民を感動させるだけでは駄目なのであって、近隣諸国の感情を逆撫でしないような配慮も政治家ならば必要なのです。
おのざわショージ
08/19/01