ボスは迷文家シリーズ |
やる気がある若者にとって今の日本はチャンス
藤井
8月1日の産経新聞にフランス、アメリカ、韓国、日本 4ヶ国の中学、高校生の 意識調査が報告されていました。 それによりますと、日本の中、高生は韓国、 や米仏の中高生に比べて享楽志向が強く、名誉や地位、社会てき貢献よりも、 "楽しんで生きる"事を人生の目標にす割合が高いそうです。
小野沢
ここで指す楽しみは「享楽」や「快楽」などの怠惰の中の楽しみだと思います。調 査の結果、他国の中学生には将来への展望と動機があるということなのでしょう。 楽しみには別の意味もありますので、新聞がさすところの「楽しんで」は「楽して」 ということだと思います。享楽志向が高いということがその限定された意味でしょう。
日本人村ではなく、アメリカ人を仲間にしている私はどうしても日本人との比較をや ってしまいます。私の息子が通っていたイサコア学校地域でも若年の頃から社会貢 献の気持ちを育てています。先日アンデス山脈へ行ってきたのですが、19歳の金髪 女子大生が、バックパッカー仲間と共にアンデスの小さな地方都市で孤児院をやって 20人の孤児の面倒をみていました。どこから助けを得るわけでもなく自分達の意志 で自分達の限られたお金を基に孤児院を営んでいたのです。グアテマラでもそうで したが、アメリカ人やカナダ人のバックパッカーたちと出会った時、彼らの意識の高さ に驚きを隠すことができない私です。留学生に限らず、駐在員達を含めて、私が日 常みてきている日本人は、自己責任、異文化の学習意識、異文化への溶け込み度、 生き方の価値基準、将来への動機など、あらゆる面で私の生活圏にいるアメリカ人の 足元にも及んでいません。
日本人は誰もが遊びボケ(享楽主義)しています。彼らの生活に個性が感じられません。 これは価値観の崩壊と自己喪失ではないかなと思っています。藤井さんも元々は駐在 員でしたね。シアトルの古いレストランのオバサンが言ってましたが、30年前までの駐 在員は良かった、最近の駐在員は人間的にツマラナイのが多すぎる、ということでした。 私も寿司屋で横に座ったりした時に、彼らが極めて無機質で没個性が宇宙人みたいに 感じられて仕方ありません。中学生たちが新聞の調査結果とおりだとしたら、今の大人 たちが子供達の鏡なのではないでしょうか。あくまでも一般論です。
私のところでアルバイトをやっていた元留学生が35倍の競争率で就職にパスしました。 採用決定の決め手となったものが、彼が私に言われてやったアメリカ自転車横断でした。 没個性な求職者ばかりの中で、彼の強い意志と個性が「アメリカ大陸自転車横断」に凝 縮されているのではないか?と会社側は彼の価値がそこに求めたものだと思うのです。 逆にいえば、他の求職者達の没個性の中にあって、「アメリカ横断」に彼の個性的な価値 が認められたともいうことができます。これからの時代、ドングリさんたちの没個性はもう 流行らないですね。出もせず落ちもせず、という無表情(私にいわせれば)な背広姿は消 えていくでしょう。
無気力で怠惰な若者ばかりがいるのですから、その中で輝けば目立つわけです。アメリカ のように輝きが多いと目立ちにくいですが、今の日本ならば輝きは認められやすいでしょう。 今の日本は力と個性がある若者達にとってはチャンスでしょう。
おのざわショージ
08/06/01
最後に
アメリカの若者達は、根拠ある意見を論理立てて堂々と語ります。アソビも含めてかな
りノメリ込んでやっているので自信も持っています。反面、日本人で論理的な道筋をた
てて話しをすることができる人が、若者だけでなく成人者の間にも先ずいないのです。
日本人は恥の文化といって恥を美化することがありますが、実際には自信のなさを包 み隠すものでしかありません。英語ではインマチュア―であり、インコペタントなのです。 未熟者であり能力不足者ということです。
アメリカでは高校生でも、きちんとした意見を述べることができる為の教育を施していま すが、心理的にみても意見の主張は自信に裏づけされるものであることから生徒達の セルフエスティーム(自己評価)をあげる教育もします。その為、「何て駄目な子なんだろ う」という教育は家庭でも学校でもおこないません。「駄目な子」と言うことによって、言い 手の大人たちは反発心を期待していると説明しますが、実のところは自分の怒りを子に 向けているだけに過ぎません。
アメリカでは、教える側(上に立つ者)は忍耐をし、間違いの中にも答えに結びつく思考が あったことを誉めて、生徒が自信をつける努力をします。生徒が自信をつければつけるほ どヤルキを出す事を知っているからです。このやり方は心理学に従った科学です。反面、 日本では、間違って打ちひしがれている子に向って「駄目な子」呼ばわりをして、その子が さらに自信を失う為の努力を繰り返しています。ママゴンたちだけでなく、教育の場の人間 達が先頭をきってやっているのですから救いようがありません。この教育方法は科学では なく、極めて日本的な精神主義によるもので、その形状は軍国主義時代にみられたそれと 変わることがないのです。