ボスは迷文家シリーズ

夢なんてクソ食らえ 予定付「目標」で語れ
シアトルの青年ビジネスマンとのEmail


目次に戻る


今日、XXXさんにお誘いして頂き、お昼をご馳走になりました。 昭志さんのオフィスの近くですよね。店内は程よく一杯で場所から 考えてどんな店かなって考えて いたこととは異なっておりました。

China Coinでも行ったのですか?
僕は、昨日の昼はシャンといっしょに、GreatWallでベトナム昼でした。 彼女は僕のランチタイム・バイクライドの相手です。 昨夜は、デニース、コービー、ジョンなどのぼくの自転車仲間とともに クレイム・ジャンパーという馬鹿馬鹿しいほどのボリュームの食事を 出すレストラン。僕は三分の一で精一杯でした。

昭志さんとXXXさんって何か不思議な感じがします。何かは解りませんが、 何かが。。。何を言ってるんでしょうね。

 
二人には共通点があります。
1)同年
2)運動が好きで習慣となっている(ふたりとも学生運動までやっていた)
3)彼は自転車屋のセガレ、僕は自転車業
4)スケベ (しかし僕は彼ほどのドスケベではありません)

でも、今日、XXXさんの夢の一つを聞かせて頂いて少しお2人の共通点 のようなものを感じ取りました。勿論、間違っているかもしれません。でも、 私なりの感覚的なものです。

僕は、会話の中に「夢」、「自由」、「愛」などという観念的な言葉がでてくると ウンザリして、一言余計なことを言うんです。まあ、貴殿は僕からのヒトコトに もう慣れっこになったでしょうが、、、。

日本の狭い社会でぎゅうぎゅうやられながら住んでいる人たちの中には 「其処」にないものを求める気持ちが高まりますよね。しかしそれでいて、 それらを求める為の方法や行動力をもたない。彼らは話の内容を「夢」とか 「自由」と言った言葉で代替します。

しかし、僕には厭でしょうがない社会で忍耐していることができなくて、 「やりたいこと」や「好きなことをやる」人生を自分で選びとってきました。 僕はこれからもそうします。僕にとって人生の先で「やりたい」と思うことは 夢ではなく目標となります。夢にはそこに至るまでの予定がともないません。 しかし、目標には予定表が求められます。この違いがお分かりになりますか? 夢遊病的人生を送る人間と実現者の違いです。貴殿が一番理解できやす い例で説明します。夢見人は想像セックスを一人でやります。実現者は本 モノのセックスをします。夢見人のセックスから作り出されるものはありま せん。しかし実現者のセックスからは、人間関係や子供がつくられます。

「夢」である限り、実現するものは何もないのです。したがって、僕にとって 「夢」話の相手になることは極めて退屈なものということができます。しかし、 五年後の「予定」として話を聞かされると他人事ながらワクワクしてきます。 具体的な話になると、もうそれは「夢」とはいいませんね。

夢なんてものは、所詮コーヒーブレイクのヒマツブシ話であるか、イッパイ 飲んだ時の酒の肴でしかありません。日本で、オトーサンたちが酒を飲み ながら熱くなって語っているじゃないですか。僕にいわせれば、夢でなく 現実の生活で熱くなればいいのにと、彼らのお酒の上での話を聞かされる 度に思っています。

夢とは極めて形而上学的なマスターベーションです。僕の知り合いの社会 学者は、図書館・読書だけの知識で物事のウンチクを語る学者のことを知 的マスターベーターとよんでます。現実の行為とならない観念(夢)だけを語 ることは日本人の得意技。

僕は、近いうちに単車で北中南米を縦断する予定をもっていますが、それを 語ると、「ショージさんは、大きな夢をもっているんですね」との返事が返って くる。「アンタ分かってないね、俺の場合は実現を前提とした具体的な予定で ある」と返事します。

何か望むことがあったら、夢として語るのではなく、その何かに向って準備す ることです。すると、それは夢ではなく目標となります。ただ何かを望んで、そ れを語っているだけを、英語ではファンタシー(夢物語)とよんで、欲求不満だ が不倫する度胸のない子育て終わりの主婦が家の中でひとりで悶々としてい ることと何ら変わるところがありません。 実現がともなわない夢だけを語って みんなジジババになっていって、気がついていた時、残された人生も短いんだ と自分に言い聞かせ、夢とは所詮夢でしか終わらなくなるのです。

XXXさんも凄い人ですよね。単身、渡米して親からの仕送りなしで生きてこられ たんですね。私には出来ないなあ・・・って

貴殿ができないと思うのは、現在家族があってゆとりのある生活をもっていらっ しゃるからです。僕はいつ昔のホームレスに戻ってもいいようにグアテマラやア マゾンの貧困生活を体験しています。

1970年頃までの留学生にとってはそれがアタリマエのことでした。何しろ、 日本からの送金なんて外為上限られていて,為替レートも360円でしたから ね。360円を支払わないと1ドルが手に入らなかった時代です。当時の大卒 の初任給は11万円=$300何がしドルだけだったのです。

当時の日本の家庭に子供達の留学を親が面倒みるなんて余裕はありません でした。我々若者にとって無銭旅行=貧乏旅行というのは常識で、同年の沢 木耕太郎は香港からロンドンまでの距離を、確か1000ドルくらいを元でとして、 三年かけて路線バス旅行をしています。この体験記が「深夜特急」という本に なって、80年に至るまでの僕らの次の世代の若者たちに大きな影響を与えま した。

僕の世代の貧乏旅行者たちに影響を与えた本は、堀江健一の「太平洋ひとり 旅」小田実の「何でもみてやろう」、そしてミッキー安川の題名は忘れたが留学 体験記。確か「風来坊留学記」だったと思います。当時の若者達でヨーロッパ に行った連中はシベリア鉄道行った。アメリカはAPLの貨物船だとか、僕のよう にブラジル丸という南米への移民船でした。

僕は、アメリカでホームレスの先駆者をやっておりました。図書館で寝袋生活。 食い物は学生食堂の残りモノ(皿洗いのアルバイト)五人の留学生(メキシコ、 南アメリカ、コロンビア、僕、ペルー)と共同で借りた廃屋は一ヶ月25ドル。ひと りあたり5ドル。しかし、床や窓からは草が生えていて夜露を凌ぐどころか、雨 露があっちこっちでポタポタでした。今のホームレスでもあんなとことには住ま ないでしょう。この頃は強いアメリカで世界一リッチでしたので、僕らは社会の 底辺で生活していたのです。

小野沢昭志
2001年9月7日

ご意見・ご感想



目次に戻る